川内先生の教育改革18.非現実的なきれい事が、教育現場の荒れを招いた

元徳島県公立中学校校長、川内時男先生の活動報告18.をお送りします(仁)。

 

18、非現実的なきれい事が、教育現場の荒れを招いた

 

前回の投稿で「学校という所は『霊長類ヒト科の子』である子供を『教室』という『檻』に閉じ込めて『飼育』しているのだ」、と言いましたが、あまりにもえげつない言い方に、腰が引けた方もおられたのではないでしょうか。

 

正直なところ私も少し言い過ぎたかな、と反省しています。しかし、品のない言い方ではありましたが、何も間違ってはいません。むしろこういう言い方の方が教育を正確に捉えることができるのです。

 

これを「学校では子供が目を輝かせて生き生き伸び伸び、そして希望に胸膨らませて明るい未来を描きつつ、互いに尊重し合って・・・」などと、どこかのCMソングにあるような絵空事を語るものですから、人々が大きな思い違いをし、学校に非現実的な「きれい事」を押しつけるようになるのです。

 

そういう人達は「子供は常に正しく清らかであり、したがって子供がどれほど横暴な振る舞いをしても、責任は子供を正しく導けない教師にある」と結論づけるのです。ですから子供への体罰などもってのほかと言うことになるのでしょう。

 

「子供は霊長類ヒト科の子」、これは誰がなんと言おうと動物学的に正しい事実です。また年齢が幼いほど霊長類の生態そのものです。その「ヒト科の子」を毎日指導しているのが教師です。

 

「ヒト科の子」である子供の大部分は両親にしっかり躾けられており、問題なく学校生活を送ることができますが、決まりを守らず、学校の秩序を乱す子供がいるのは大人社会と変わるところはありません。教師はそんな子供を指導する役割を担っているのです。

 

しかし今の教師は手足を縛られて何もできません。教育現場の荒れの原因はここにあるのです。

第一、このように教師の手足を縛っておいて、どうやって学校の秩序を保てと言うのでしょう。どうやっていじめや暴力を防げと言うのでしょう。

教師の子供への暴力を防ぐために体罰を禁止したら、いじめを抑止することができなくなった。すると深刻ないじめがはびこっって子供が自殺した、などは笑い話ではすまされません。

 

憲法九条を持ち出すまでもなく、一切の力の行使を排除して平和主義に徹すれば、抑止力が働かず平和が脅かされると言うことです。

教育現場の厳しさを見ようとせず、きれい事を押しつければこういうことになるのです。