『歴史から学ぶべき事とは?』(ローマ帝国は難民(移民)でとどめを刺されて滅んだ)

前々から読みたかった「塩野七生」さんの「ローマ人の物語1~7巻」を本屋巡りして見つけたので買って読んでみました。この本は如何にしてローマがあんなにも繁栄し強い国家にまで成長したかまでの物語ですが滅びたまでは書いてなかったので滅びた経緯も調べてみました。

紀元前753年、一人の若者ロムルスと彼に従う三千人のラテント人によりローマは建国され、最初は村のような小さな集落でしたが周辺との小競り合いで次々と勝利して少しずつ領地と人口を増やして段々と国としての形を整えていきました。戦いに負ける時もありましたが負けては相手をよく研究し団結を深め次には勝利し、負けた相手国をローマ連合の加盟国として厚遇し、益々、領地を広げていきました。やがて最大のライバルであったカルタゴを3度のポエニ戦争で徹底的に滅ぼしたました。(紀元269~146負けた相手国には寛大なローマですがカルタゴに関しては容赦しませんでした)

そして西地中海の覇権を握ったローマはやがてギリシャ諸国(当時ギリシャはアテネ、スパルタなど分裂国になっており統一していませんでした。)を次々に征服し、さらにシリア王国を破って地中海はローマの内海になりローマは繫栄します。

「すべての道はローマに通ず」「ローマは一日にして成らず」の有名な言葉もローマの繫栄から生まれました。

しかし、繫栄を誇ったローマも西暦300年頃から状況がおかしくなってきます。経済的にも逼迫してきてアッピア街道にある道路や水道橋も何百年経って劣化してきてもメンテナンスが出来なくなったり、ローマ市民達も「パンとサーカス」であまり働かずすべて奴隷にやらせるようになったり、宗教も多神教からキリスト教の一神教になり物事の考え方が大らかで寛大だったローマ人達もクリスチャンだけ認めるという狭い考えにもなってきました。

そこへ、ユーラシア大陸大陸の内部.中央アジアから移動してきたフン族の侵入により東欧を支配していたゴート族を始めとする部族がフン族に追い出され難民としてローマ帝国と国境沿いに大量に集結してきました。(約270万人ほどで彼らにとってはローマは憧れの先進国でした。)

当時のローマ皇帝フラウイルス.マリウス.ウァレンス(364~378)は難民を労働力や兵隊として活用したいと考えて住むことを許し食料を与えたり保護したりしましたが中々、保護が行き渡らず段々と難民達の不満が溜まってきて、ついには反乱を起こしローマ帝国内の自治権を確立してしまいました。やがて難民のゴート族とローマ軍との戦争「ハドリアノポリスの戦い」が起こりローマ皇帝は殺害されてしまいました。そして更に東欧から次々と部族が侵入が続き、ついにあんなにも繫栄したローマ帝国はついに崩壊してしまいました。(実際にはこの後に東ローマ帝国と西ローマ帝国に分かれますが実質上、繫栄し強かったローマ帝国は滅んでしまったと言ってもいいと思います。)

歴史は繰り返すと言いますが、でも歴史を知る事で防げる事もあると思います。ローマ人達は元々自分達の国は自分達で守るという気概に溢れ自分達で何でも考え自分達で何でも造ってローマを素晴らしい国に築いてきました。戦いに負けても絶対に諦めずに相手国を研究して次には勝利を納めてきました。でも時が経つうちにローマ人達も奴隷に働かせ享楽的にもなり経済的にも衰退していたところに労働力にと考えていた難民達によってとどめを刺されました。

今、日本は正念場に立たされていると思います。ローマの歴史を見ても労働力になるからと安易に難民、移民を大量に入国させるとローマの悲劇のようになるかもしれません。治安も悪くなるし代を重ねていけば日本人と同じ権利も欲しがるようになるでしょう。それに少子化の日本人は今に人口も逆転されるかもしれません。

ローマの悲劇は、今、目の前に迫っているかもしれません。

(葉)