「リベラルって、きったねえなあ」(三)

山之邊雙氏のご投稿、「リベラルって、きったねえなあ」の最終回をお送りします。

文章の最後に「不誠実なリベラルがどんなにずるいことを言っているかを見破って欲しいと思って寄稿した」と今回の投稿の趣旨を語っておられます。

そう、保守派の人はいい人が多いから騙されやすいんですよね。ダメです。彼らの嘘に負けないように、しっかりした目を持たないとやられてしまいます。未来の子どもたちにこの素晴らしい日本を残してゆくためにも大事なことです(仁)。

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リベラルって、きったねえなあ(三)  山之邊雙

 

ところで、旧皇族を論ずるに当たって、リベラルには、もうひとつ論理的破綻を来している問題がある。

竹田恒泰氏が自分を「旧皇族」と言っている件に関して、「恒泰氏が生まれた時には、竹田家はもう皇族ではなかったのだから、『旧皇族』と自称するのはおかしい」という中傷である。

旧皇族の戦後生まれのメンバーが自ら「旧皇族」と名乗っていけないというのなら、現今の「旧皇族の皇籍復帰」という言葉が間違っていることになる。恒泰氏の父親である恒和氏は旧皇族だが、恒泰氏はそれとは違うという理窟になる。まあ、リベラルから見れば、旧皇族復帰を妨げるよい口実を見つけたというべきだろうか。

 

さらに、恒泰氏が、「明治天皇」の玄孫であるという主張にも、リベラルはケチをつける。

明治天皇の皇女が竹田宮家に降嫁し、その直系の曽孫が恒泰氏である。

だから、恒泰氏は明治天皇の女系の玄孫である。

これを以て、リベラルは「男系主義者が明治天皇の女系の子孫であることを自慢するのはおかしい」と言う。

誠に、リベラルらしい論理の飛躍である。

 

竹田宮家は、他のすべての宮家と同様に、室町時代の崇光天皇皇子に始まる伏見宮家の直系の男系子孫である。ただし、よく言われるように、旧皇族の男系血統は皇家(こうか)から分かれて以来時間が経ち過ぎて、正統性が薄まっているのは事実だ。

明治天皇は、それを女系で「補強」するために、皇女を降嫁させたのである。

千五百年の昔、傍系から入った継体天皇が皇位を継ぐ際に、先帝・武烈天皇の姉宮を皇后に迎えた。これも、薄まった男系の血を女系で補強して、正統性を担保したのである。江戸時代に閑院宮家から出た光格天皇の場合も、似たような事実があった。

男系の皇統につながるなら、女系で補強しても、それを誇りにしていけないことはない。リベラルは、「補強すると薄まる」という理窟にならない理窟を捏ねているのである。

それにしても、「捏」という字を見ると、あの新聞を連想するが、リベラル全体が「捏」の塊だと言えないだろうか。

 

因みに、古代の天智天皇の父親は舒明天皇、母親は皇極天皇(女帝/重祚して斉明天皇)である。舒明天皇は男系の血だけでも、非の打ちどころのない皇家の嫡系であるから、女系で補強する必要はないが、いずれにせよ、結果的には補強されたことになる。ところが、これをしも、「女系継承」であると主張する人がいる。それを言う人は、竹田家の場合と同様に、「補強したから薄まった・弱まった」という強弁を捏ねているのである。

「過去には女系天皇もいた」、あるいは「皇室は双系である」などという主張はみなこの類の為にする噓である。母から娘に譲位した、奈良時代の元明天皇・元正天皇の場合も同じで、二人とも女帝ではあるが、紛れもなく男系天皇(男系女子)である。

男系女系論の主張に、リベラルの詭弁が端的に表れている。

 

ことほどさように、リベラルのいうことは、小学生でも分かる屁理屈である。

では、リベラルは馬鹿なのだろうか。

そもそも馬鹿でなければリベラルにはならないと思うが、ここにまたちょっと問題がある。

この程度の論理は馬鹿でも分かる。リベラルが馬鹿であることは間違いないにしても、この理窟が分からないのは馬鹿だからではなく、理窟が通らないと分かっていて言っているからである。

「きったねえなあ」と言う所以である。人間としての良心を持たないのだ。

一般国民は深く論理をいうものを考えることがないから、リベラルの荒唐無稽な嘘をそのままに受け入れてしまうのである。

今なお、女系天皇賛成論が多いのは、国民が女系天皇と女性天皇の区別を理解していないからであり、理解していないのは、マスコミが知らせないようにしているからである。

慰安婦の強制連行の話だって、捏造新聞が噓と分かって言っている嘘を国民が真に受けた所から始まったのである。因みに、かの捏造新聞は、吉田清治に騙されたのではなく、嘘と知っていて、騙されたふりをしたのである。少なくとも、「なんかヘンだが、ええいッ、行ってしまえ」と突撃したのである。

 

今日は皇位継承に関して、不誠実なリベラルがどんなにずるいことを言っているかを見破って欲しいと思って寄稿した。

日本の歴史と文化の根幹にかかわる皇室の在り方を論じる際には、もっと論理というものを大切にしなければならない。