朝日新聞的教育観の崩壊(四)山之邊雙

山之邊雙氏よりの寄稿最終回を掲載致します(仁)。

 

朝日新聞的教育観の崩壊(四)   山之邊雙

 

明治以来の日本の教育の最大の長所は「公平」だった。海軍兵学校や陸軍士官学校は、皇族だけは無試験で受け入れたが、それ以外は情実は全くなし。公侯伯子男(華族)でも成績が悪ければ落とされた。

東大にはもっと輝かしい実績がある。昭和初年、さる皇族が東大を受けるという話が漏れ聞こえ、新聞が「学習院の秀才が東大を受ける」と書き立ててしまった。ところが、東大は当時飛ぶ鳥落とす勢いの皇族を落としたのだ。東京帝国大学の名はいやが上にも高まった。

 

ところが、現代では、「ペーパーテストの学力だけが本当の学力ではない」という美名の下に、ありとあらゆる情実がまかり通っている。「人物を見る」という口実で、面接を導入したのが破綻の糸口だった。

私の知己の私大助教授は、面接の試験官を何度も経験したというが、「十五分で人物なんか分かる分けがない。特に女子の面接は、完全に美人コンテストだね」と言っている。

 

このごろ、「リベラルの星」から失墜した川勝静岡県知事は、自分が教授を務めた大学の女子学生について、「十一倍の競争率を通って来る。みんなきれいです」と食言した。「容姿と学力が相関する」と言うのか、と批判された。

しかし、そうではあるまい。批判する人も気づいていないようだが、競争率が高いから美人だというのは、面接が容姿重視であることを言っているのだと解釈すれば平仄が合う。

男が女を評価する。しかも、学力でなく人物評価となると、実質は知れている。美人は人物が優れているように見えるんだよ。あなたが男だったら、分からないはずはないでしょうに。私だって、金与正(ヨジョンさま)がトップになったら、あの国は本当の「地上の楽園」になれると信じていますからね。

女子の体操の採点に当たるのは女性だけだと決まっているのに、入試の面接は、「大学教授ともあろう者が容姿に惑わされるはずはない」という偽善が幅を利かせ、ミスコンに堕しているのである。

最近のフェミ(MeToo)は、容姿による差別を是正せよと言い、ミスコンに疑義を呈している。今度は、大学入試の面接を撤廃するように呼びかけたらどうだろう。しかし、フェミは朝日新聞の走狗だから、朝日が推奨する面接重視の入試には反対しにくかろう。彭帥事件に沈黙を守っているのも朝日からの指令なのだし。

一部のフェミが、援助交際の米山隆一を叩いて、その妻の室井佑月と喧嘩している。へえええ、リベラルのことも叩けるんだ、とちょっと見直したが、その人たちが、彭帥のことは完全にスルーしている。室井とは個人的に仲が悪かったというだけのことなのか。

 

もう一つの問題点は、特にDQNに近い大学では、採点基準の曖昧な面接を利用して、有力者や金持ちの子弟をどんどん入れてしまうことだ。金がものを言う現代日本で、リベラルの主張する入試改革が、いよいよ金で人生が決まる社会を作っているのだ。まあ、不思議はあるまい。リベラルなる人々は、どういうわけか、金持ちが多いのだから。

 

本稿には「朝日新聞的教育観の崩壊」というタイトルを付けた。

「教育観」ばかりでなく、今、あらゆる分野に於ける「朝日新聞的価値観の崩壊」が始まっている。

「侵略されても戦ってはいけない」という朝日岩波大命題も、信奉しているのは福島瑞穂氏の一派だけになってしまった。

それもこれも、みんな「八・〇五」(慰安婦誤報自認)がきっかけになったのだ。リベラルとはリベラリズムの敵である。北朝鮮が「朝鮮民主主義人民共和国」と名乗っているのと同じだ。そんなリベラルの親玉・捏造新聞が今や虫の息になっている。言論の自由の認められるリベラルな社会の実現が近づいていると期待したいものだ。