安倍晋三元総理亡きあとに思う

7月8日、安倍晋三元総理が凶弾に倒れ、日本国中が悲しみに包まれた。12日の葬儀の日、私は朝早く増上寺へ献花に訪れた。私の前にも後にも老若男女の長蛇の列ができていた。一部マスコミ、国会議員の中には安倍元総理の国葬について異議を唱える者がいるが、国内外において果たされた功績を考えれば、何をかいわんや、である。

安倍元総理は、改正教育基本法の成立、平和安全法制の成立(集団的自衛権の限定的容認)、憲法改正へも歩を進め、拉致問題にも果敢に取り組まれた。外交手腕も並外れて優れていた。海外から数多くの哀悼の言葉が寄せられたことでも分かる。

7月24日に大手町で開催されたシンポジウムにおいて、日本在住の台湾人パネリストが「安倍総理を失った悲しみは、元朝日新聞台北支局長の記事によると、台湾人の方がより悲しんでいる、と。私の伯(叔)母は美容院では皆その話をしていたと言い、台湾の市場(いちば)には“安倍総理有難う”と追悼する横幕が張られました」と発言した。

そのときパネリストの一人、櫻井よしこ氏は即座に「日本人として反論いたします」と仰った。「確かに台湾の人たちが安倍さんの死を悼んで下さっているのは、よく分かる。けれども日本人も同じように悼んでいるのです。安倍さんが亡くなったことで、どれだけ多くの若い人たちが路上に出たか、涙に暮れたか、どれだけ多くの人が心痛めたか。それを無視してはいけないと思います」と時に涙声になりながら訴えられたのだった。

本当にそうだ。私たち日本国民は安倍元総理に親しみを感じていた。日本の希望の星のように思い、この人がいれば日本は大丈夫だと思っていた。まさかその人が急にいなくなってしまうなんて。

8月4日の朝のニッポン放送でジャーナリストの長谷川幸洋氏が、安倍元総理の魅力について以下のように分析していた。「安倍さんは人を見る目の直感がものすごく鋭い。加えてそれをユーモアに包んで解説することが非常に上手。だから魅力があって皆の気持ちをとらえてしまう。安倍さんのいる席に行くと、どういう席でもいつの間にか安倍さんが中心になってしまう」「安倍さんは自分の直感で見た生の体験を投じた分析というのが普通にできる人」それを聞いていて私は大きく頷いていた。

『明日への選択』8月号の冒頭で、伊藤哲夫氏が安倍元総理との20数年を振り返り、その死を悲しみながらも「しかし、その元総理は今やいない。悲しみは去らないが、日本再生の戦いはまさに途上だ。自分も奮起する他ない、と決意する次第だ」と締めくくっている。

天国の安倍元総理に心から感謝をし、安倍元総理に恥じない生き方を、私達はそれぞれの場所で実行していかねばならない。(和)