「百人の会」に三澤廣氏が寄稿された記事を転載させていただきます。
ちょっと長いのですが、非常に面白い。
教育がこうやって曲げられてゆくのかということが分かり易く説明してくれています。
日教組=日本社会党=朝日新聞の連携の恐ろしさ。嘘と詭弁、それを指摘された時の強弁。実に見事。
そして最後にこういわれています。
日本社会党すでになく(鬼子の社民党も半死半生)、日教組も悲惨な組織率に落ち込んでいる。朝日新聞も断末魔だ。それでも、その荒唐無稽な思想はリベラル全体ないし日本全体に広く浸透している。
さあ、われわれはどうすればいいのでしょうか(仁)。
リベラルの強弁 三澤廣
高校入試に際しての「小学区制」は京都府が先鞭を附けたのではなかったかと思う。「学校差」があると差別が生じる、という理由で、受験校を制限したのだ。一つの学区に公立高校は一つしかない。自分の住んでいる学区の高校しか受験できない。つまり、選択の自由を奪ったのだ。
これを定めた府知事は七期二十八年も務めた蜷川虎三氏だった。革新首長として名高い人だった。蜷川氏が引退した後もこの制度は続いた。昭和二十五年(一九五〇)から始まり、平成二十五年(二〇一三)にやっと廃止された。
これがさきがけとなって、小学区制が全国に広まった。東京都の学校群は小学区制とは違ったが、精神はそれを受け継いだものだった。
当然、学力は惨憺たるものになった。
当時、週刊誌が蜷川知事を支持する府教組幹部にインタビューした記事を読んだことがあった。記者が「(京都の公立高校からの)京都大学合格者がこんなに少ないのは、学力が落ちている証拠ではないのか」と問うと、幹部はこう答えた。
「なんで京都大学だけを見るのだ。それは事大主義ではないか。全大学の合格者を比較してみれば、他県に劣ってはいない。学力は落ちていない」
リベラル(当時はこういう言葉はなかったが)は常々「いい学校とか悪い学校とかいう違いはないんだ。みんな同じなんだ」と言い募っていた。
あの時代の空想的社会主義の夢物語は、今から見ると苦笑するしかない。いや、正常な思考能力を持った人なら、当時でもその馬鹿馬鹿しさに呆れていたのだが、日本全体がそういう偽善の空気に包まれていたので、正面切って反論することができなかった。そういえば、この空気を一生懸命支えていたのが朝日新聞とNHKだった。
京大に入れるかどうかはほぼ学力で決まるが、どこかしらの大学に入れるかどうかは、親の経済力が大きなファクターになる。京都は大阪・兵庫と並んで、近隣の県よりは裕福だから、大学全体の合格者は多いに決まっている。
そして、日教組幹部は、そんなことは百も承知なのに、建前論を唱えて、黒を白と言いくるめた。嘘と知っていて、自分に正義があるように言い張るのだから、慰安婦報道の朝日新聞となんとよく似ていることだろう。
こういう屁理窟を「強弁(きょうべん)」という。
一方、東京都の学校群制度はずっと後の昭和四十二年から始まった。昭和四十五年にその第一回卒業生が出た時、日比谷高校の東大合格者数が大幅に減少した。これを伝えたNHKテレビの報道を私は未だに覚えている。
「これは学校群のせいではなく、学園紛争の影響だと思われます」と言ったのだ。
学園紛争が激化したから、東大志願者が減るというのは考えられないことではないが、私立高から東大に入る人数は増えて、都立高から入る人数だけが減ったのだ。その原因が東大の学園紛争だったという理窟が成り立つはずはない。朝日と並ぶ日教組支持母体であるNHKが、嘘と知りつつ、学校群制度を守ろうというリベラルな意見に加担したのだ。強弁と言わずして何と言おう。
戦後一貫して、日教組と日本社会党と朝日新聞(NHK)は同じ意見を信奉して来た。三者会談で共同謀議をして決めるのではないかと思うくらい一致していた。教育政策だけではない。外交・防衛・社会保障、果ては中学校のいじめ問題に到るまで、ことごとく同じなのだ。三者のうちのいずれがリーダーシップを取ったのはか興味深い謎であるが、少なくとも教育政策については日教組が采配を振っていたというのが真相ではあるまいか。
この時期、日教組は「秀才を作ってはいけない」というスローガンを打ち出した。秀才が出ると学力格差が生じ、差別につながるからというのだ。
一説によるとソ連や中国が、日本人の学力を落としたいがために、来訪した日教組関係者の耳元で囁き、それを日本側が実行に移したという。穿ちすぎているだけに、却って真相を衝いているのかも知れない。
私の知人の元高校教師から聞いた、ある地方高校の組合員活動家の話がある。国立大学を目指す生徒が、三年生になって、受験勉強のために運動部をやめようとした所、「いい大学に入って、出世しようというのは利己主義だ」と説得し、家庭訪問をして無知な親にまでそれを吹き込んだ。生徒は気が弱かったので(女生徒だったともいう)いやいやながら運動部にとどまって、志望校進学を断念し、自暴自棄になってしまったという。
その教師は、自分の息子は県庁所在地に下宿させて進学校に行かせていた。そして、見事に国立大学医学部に合格した。しかも、そのことを同僚に自慢して回ったという。
同僚が流石に、「生徒にはいい大学に入ろうとしてはいけないと言いながら、自分の息子は国立医学部とはずいぶん矛盾しているじゃないか」と批判した。すると彼は開き直って、「俺が入れと言ったわけじゃない」。
これが日教組の偽善である。衆議院議員(元議長)横路孝弘氏の父親・横路節雄氏は日教組の闘士で、衆議院議員になり、日本社会党の国対委員長まで務めた。その人が「秀才を作ってはいけない」という日教組の信条とは裏腹に、息子を東大に入れ、弁護士に仕立て挙げ、衆議院議長にまで出世させたのだ。
「出世しようとするのは利己主義」だったはずなのに、国会議員になるのは出世ではないのか。いや、そう言っても、「自民党に入って大臣になるのは出世だが、野党の議員になるのは反権力なのだから出世ではない」とリベラルらしい強弁の反駁をされそうだ。
横路氏だけではない。日教組委員長の息子で弁護士になった人は(節雄氏は副委員長)、私の知る限り、二人いる。
他人の子供には「勉強するな」、自分の子供には「勉強しろ」。これが日教組幹部だ。
哀れを留めるのが真面目な末端の組合員。幹部の強弁を真に受けて、自分の子供にも勉強しなくていいと言って挫折させ、後年、子供から恨まれることになる。暴力団の末端組員の悲哀を味わうのだ。
ところで、この横路孝弘氏が、昭和四十六年(一九七一)の西山太吉事件の背後にいたこ
とを御存知だろうか。
西山氏が外務省の女性事務官を逆ハニトラにかけて、手に入れた機密文書を横路氏に提供した。そして、横路氏の不手際から情報源が発覚して、女性事務官は地獄の憂き目を味わったというのが事件の顛末である。不手際と言っても故意に近い過失で、情報源を護ろうという気持が全くなかったと非難されている。
まことに、日教組が主張する「秀才は利己主義者」を絵に描いたような人物だ。
昭和五十八年(一九八三)の北海道知事選挙では、学生運動崩れの浮かれた元若者たちが「勝手連」と称して、こんなに人格に問題のある横路氏(すでに衆議院議員だったが)を担ぎ上げて当選させた。当時、政治家には「なりたい人よりならせたい人を」というリベラルのスローガンが流行っていて、「勝手連」とは「候補者とは無関係だがならせたい人だから勝手に推薦する」というイメージを作り上げたのだった。
何が「候補者と無関係」だ。癒着しているに決まっている。ところがリベラルは宣伝がうまいものだから、有権者は騙されてしまう。コミュミストとリベラル(準コミュニスト)の巧妙な戦略にはホトホト舌を巻くしかない。
デビューした当時はマスコミから「爽やかな政治家」と持ち上げられたのに、後になって化けの皮が剥がれてしまった人のワースト・シックスは、美濃部亮吉・横路孝弘・河野洋平・土井たか子・田中真紀子・小泉進次郎であろうか。
さて、小学区制や学校群制度がある副作用を引き起こすだろうとは当初から心ある人が指摘していたが、リベラルの為政者は「そんなことあるものか」と見て見ぬ振りをして強行してしまったのである。
その副作用とは、「公立学校のレベルが低下して、私立学校が進学校として浮上するだろう」という観測だった。親の経済力による差別が生じるいう危惧が指摘されたのだ。
そして、その危惧は見事に当たった。私立御三家と言われるような中高一貫校が東大合格者ベストテンの常連となり、授業料の支払いに耐える親でなければ、息子を一流大学に入れることが難しくなったのだ。
リベラルはエリート大学の存在を非難して、「東大生の家庭は平均所得が高い」というが、そんな社会を作ったのはリベラルではないか。リベラルがマッチポンプと言われる所以である。
さるリベラルが「エリート教育は受益者負担であるべきだから、公立の学校は関与すべきでない」と言っていた。この人、このセリフが「貧乏人はエリート教育を受けてはならない」と言っているのと同義だとなぜ気づかないのだろうか。いや、気づいて気づかぬ振りをしているだけなのだろう。そういう人に限って、自分の子供は私立一貫校に入れるのだ。
この恐ろしい偽善は、すべて日教組=日本社会党=朝日新聞の連携によって日本国を席捲するに至った。
しかし、ただ一つ、この連中のために弁護をしておこうか。
東京都の学校群制度は美濃部都政の下で始まったと信じている人が多いが、美濃部氏が犯したと言われる数々の罪の中で、これだけは冤罪である。
学校群制度は美濃部氏の前の東龍太郎都政の下で成立した。小尾乕雄教育長は、美濃部氏の対立候補だった松下正寿氏に近く、松下都政が成立したら、副知事になることを狙っており、そのための実績作りとして、学校群を考え出したのだった。なんでもいいから出世のために手土産を持って行かなければならないと考えたのだから、首領様になるためにラングーンで韓国閣僚を爆殺し、大韓航空機を爆破させた金正日とどこが違うのか。
日本の教育を崩壊させた破滅的政策を列挙すれば、①小学区制と学校群、②共通一次試験(センター試験の前身)、③ゆとりの教育だった。それに、今度、④小学校の英語教育必修化が加わることになった。
共通一次試験を始めたのは、三木内閣の永井道夫文相だった。
「媚朝」というと北朝鮮にすり寄る政治家や文化人を指すが、私はむしろ「朝日新聞にすり寄る人々」のためにこの言葉を取っておくべきだと思う。北朝鮮と朝日は一心同体だから、同じ漢字を使って、「ビチョウ派」「ビアサ派」と読み分けたらどうだろう。
三木武夫氏はまぎれもない、「ビアサ派」だった。朝日の覚えをよくするために、朝日新聞論説委員だった永井氏を民間人から文相に起用したのだ。癒着人事の典型だ。
そして、永井氏は民間から閣僚に抜擢されたために有頂天になってしまい、「なんでもいいから実績を」という金正日思想に毒されて、共通一次試験を開発したという次第だった。
さらに、ゆとりの教育を考案した寺脇研氏の目的は、文部次官になるために「なんでもいいから実績を」と考えたからだったと指摘されている。しかも、「ゆとり」という言葉自体、昭和四十七年(一九七二)に日教組が言い出した「ゆとりある学校」というスローガンを真似たものだった。いや、真似たのではなく日教組に媚びたのだった。いやいや、媚びたというより寺脇氏は日教組・社会党・朝日新聞というリベラル軍事同盟の構成員だったのだ。
リベラル軍事同盟が、なにゆえに私立学校の株を挙げ、結局は金持がトクをする社会を作ることに加担したかは面白い研究課題である。
彼らは「能力による差別」に反対した。
かつて、学生運動が盛んだった時代には「体制が変わらなければどうにもならない」という言い方が流行した。「金による差別」はいけないことに決まっているが、資本主義体制下である限り、この差別はなくならない。それならせめて、現体制の下でもできることとして、「能力による差別」を撤廃しようと考えたのではないだろうか。
その結果、「金による差別」が一層ひどくなるとは、思い至らなかったわけではないだろう。私の見る所、リベラルの政策は、深く考えずに「ええいッ、やってしまえ」と清水の舞台から飛び降りるようなものなのだと思っている。しかも、そもそも一貫した論理がないから、筋の通らない強弁を弄して、恬として恥じないのだ。
教育関係だけでなく、リベラルの強弁は言語論理・数学的論理を欠いたものばかりだ。だから強弁というのだが。
冒頭に挙げた府教組幹部の「なんで京都大学だけを見るのだ」に似た強弁を最近発見した。リベラルは皇室制度を廃止したいと願い、その一里塚として、皇室の正統性を弱める女系天皇容認論を唱えているが、口実として、「男系のままでは跡継ぎがいなくなって皇室が存続できなくなるから女系天皇を認めるべきだ」と言っている。
この卑劣な言いよう、天皇制廃止論者が口にすべき言葉であろうか。騙されてしまう人が多いのだが、「天皇制廃止」を狙う人が「皇室の存続」を願うような偽善かつ欺瞞を口にするとは、人間としての誠実さを疑うしかない。この見解を、立憲民主党は党として正式に表明したのである。
今日のインタネットのニュースでは、立憲民主党の支持率が、日本維新の会に抜かれて、野党第一党の座から転落したという。俄かには信じがたいが、本当だったら祝着至極の儀である。(https://www.sankei.com/politics/news/200413/plt2004130008-n1.html)
リベラルの本質は一言で言えば「きたない」ということだと私は確信している。
我々の使命は、リベラルに騙されている世論を啓蒙することではないだろうか。
日本社会党すでになく(鬼子の社民党も半死半生)、日教組も悲惨な組織率に落ち込んでいる。朝日新聞も断末魔だ。それでも、その荒唐無稽な思想はリベラル全体ないし日本全体に広く浸透している。死にかかっている毒蛇の頭を今のうちに潰しておかなければならない。