こんな知事がいていいのか(2) 三澤廣 R2-10-19
川勝氏は早稲田を出てからオックスフォードで学位を得た経済学者である。さすがに大学名は挙げなかったが、菅氏が出たのがエリート大学でなかったことを揶揄していることは間違いない。その点については曖昧な言い方にとどめたが、「東京に行って働いて、勉強せんといかんということで通われて、学位を取られた」、そしてそれが「学問された人ではない」とは、あまりにも露骨に勤労青年を差別している。
家庭が貧困で、苦学して大学に入った人への思いやりがまったく感じられない。それどころか、回り道をして大学に入るのは正規ルートでないから認めてやらない、と言っているのである。本人は京都のエリート私立高校を出た苦労知らずのボンボンである。
こんな人がなんでリベラルなのか。いや、リベラルには、タテマエとホンネの違う人、平気で信念を変える人が多すぎる。前新潟県知事の米山隆一氏は、以前は自民党から出馬して衆議院議員になったのに、いつのまにか野党に回り、しかも、原発支持派だったのが、知事選出馬に際して原発反対派に転じている。
米山氏がなぜ辞任に追い込まれたかを忘れた人は、「米山 援助交際」と打ち込めば、山のように情報が得られる。
現愛知県知事の大村秀章氏も自民党衆議院議員だった。知事になった当初は自民党だったのに、いつの間にか野党に転じて、今や知らない人はいない反日のチャンピオンになってしまった。
川勝氏も、最初に知事になった平成二十一年(二〇〇九)には、自民党と民主党の相乗り候補になる予定だったが、結局は民主・社民・国民新党に担がれることになった。
この三人は「保守からリベラルへの変身」の代表である。そうなったのは、ひたすら権力が欲しいからである。知事に当選するために、節操などは弊履の如くに捨て去るのである。
リベラルのくせに差別をするというのは、そういう人柄だからであろう。
保守派の政治家がこんな差別発言をしたら、リベラルは容赦しない。新聞もテレビも毎日この発言を取り上げて、辞任するまで追い詰めるだろう。
それがリベラルなら何を言っても許されるのである。我々保守派がもっとこの差別を取り上げて糾弾するしかないであろう。
川勝氏の権力主義的な傾向は、平成二十七年(二〇一五)の田辺信宏・静岡市長との初対談で遺憾なく発揮された。(https://www.youtube.com/watch?v=q5Oq9CP881g)
まことに聞き苦しい言い方で、知事は市長を何度も何度も「キミ、キミ」と呼んだのである。市長は「キミ、キミとおっしゃいますが、私は静岡市長です」と反駁し、知事が「あ、市長なんですか。失礼しました」と答える珍場面があった。
知事は市長を部下だと思っていたに違いない。地方自治の精神を理解していなかったわけである。
この場面をインタネットで見て、私が思い出したのは、平成二十三年(二〇一一/震災の四ヶ月後)の松本龍氏である。菅直人内閣の復興大臣だった松本氏は、宮城県庁を訪れて村井知事と会談した。
この動画は「https://www.youtube.com/watch?v=A5b9IVYcneU」で見られるが、これはまた川勝知事よりも一段と、いや、二段も三段もひどかった。なにしろ知事に向かって、敬語全くなしの命令口調。「いいか。自分が入ってからお客さんを呼べ」。しかも報道陣に向かって、「今の最後の言葉はオフレコだから。書いたらその社は終わりだから」と恫喝したのである。
どの新聞も民主党支持だったから、本当に何も書かなかった。わずかに東北テレビだけが流して、問題になった。あやうく言論の自由が守られた。
松本氏は、これが発覚して、すぐ辞表を出す羽目になったが、辞任を認めた菅直人首相がパワハラで有名な「イラ菅」なのだ。現実というより漫画に近い。
川勝知事が市長を見下したように、松本大臣は知事を部下扱いした。これも地方自治の精神が分かっていないことから来ているのであろう。
この権力主義がリベラルの本質である。
川勝氏の「学力テスト騒動」も面白い。
平成二十五年(二〇一三)から平成二十六年(二〇一四)にかけての出来事である。
川勝知事は、静岡県の全国学力テストの成績が悪いことを憂えて、激励のために、成績のよかった公立小学校262校の校長名を公表した。
当初は下位100校の校長名を公表するつもりだったが、教育委員会の強い反対に遭って断念したそうだ。
何が面白いって、こういうこと、日教組が絶対に反対していることではないか。リベラルに押されて知事になった人が、選挙のときに応援してくれたと思われる日教組の政策に正面切って反対したのだから、ひょっとしたら根性のある人かなと思ったほどだった。