映画「大河への道」を観て

千葉県が誇る偉人・伊能忠敬(いのう・ただたか)の映画「大河への道」を2カ月ほど前に観に行った。原作は落語家・立川志の輔による同名の新作落語だという。俳優・中井貴一や松山ケンイチ、北川景子らが出演するコミカルで楽しい映画だった。

伊能忠敬は日本地図を初めて作った人物である。江戸時代に17年かけて歩きに歩き(地球1周分!)、日本国中測量した。現代の衛生写真と合わせてみてもほぼ一致する(誤差0.2%)という驚異的正確さだ。1821年日本初の実測地図「大日本沿海輿地全図(伊能図)」は完成した。

映画ではまず現代から始まる(ネタばれにならない程度に話を進める)。香取市役所内で観光振興策として伊能忠敬の大河ドラマを作ろうという企画が持ち上がる(「大河への道」の〝大河″は〝大河ドラマ″のことである)。しかし地図が出来上がる3年前に忠敬は亡くなっていたという事実が分かり、脚本書きが頓挫する。場面は江戸時代に切り替わる。忠敬亡きあと伊能隊と呼ばれる測量隊(伊能の弟子達)が師匠の遺志を継いでなんとか地図を仕上げようと奮闘する。その弟子達の姿から忠敬の偉大さが偲ばれるのである。そして苦労の末、地図は出来上がる。

忠敬は若い頃より学問好きであったが伊能家に婿養子に入ってからは商人の道を歩んだ。そして齢50を過ぎて、暦学・天文学者の高橋至時(たかはし・よしとき)に入門し、本格的に天文学を学ぶのである。髙橋至時の年来の課題は「地球の大きさを知る」ことであった。弟子・忠敬も同じ願望を抱いた。

地球の大きさを知るには緯度1度の距離を正確に知ることが必要だ。「緯度の長さを測る方法はこうだ。まず南北のかなり距離のある二地点を測量してその長さを測る。次にその二地点から恒星を観測して、その方位の角度をはかる。そうすれば緯度1度の長さがわかる。南北の距離は長いほど精確な数値が出る」(括弧内は、岡田幹彦著『日本の偉人物語③伊能忠敬・西郷隆盛・小村壽太郎』より引用)

しかし当時は関所が各地に設けられていたため関所をまたいで長距離を測るのは難しかった。ところが幕府において蝦夷地測量計画が持ち上がった。ロシアの脅威が迫っていたからである。ロシアは千島列島を侵略し樺太・北海道を狙っていた。師匠・高橋や忠敬にとって、緯度1度の距離を測るのにもってこいの場所が蝦夷地(北海道)であった。そこで高橋からの推薦で忠敬は蝦夷地へ向かう。

印象に残っている映画のワンシーンがある。弟子が〝(伊能)先生は仰っていた。蝦夷地ではロシアが攻めてくる恐怖がある。自らの国の形を知らなければ国を守れない、と“と語るのである(セリフの細かなところは正確ではないがご了承下さい)。私はそこで、「地図を作る」とは「国防」でもあるのだと知った。

忠敬が奥州街道から蝦夷地東南岸まで正確な測量をやり遂げ、東南岸の地形が明らかになったことで、その後も幕府からほかの地域の測量、地図作成を命ぜられることになる。忠敬は地球の大きさを知りたいという願望を抱き、ついに日本地図を完成させるという偉業を成し遂げたのである。

映画の最後のシーンは感動的だ(映画はまだ数か所で上映されているようなので、観たい方はこの先読まないように)。忠敬が亡くなって3年後に地図は完成し、天文方の高橋景保(高橋至時の長男)が完成図を幕府に上呈する。江戸城の大広間いっぱいに全国図が広げられた光景は圧巻である(実際はこの時上呈されたのは西日本の地図だったようだ)。

忠敬と弟子達の汗と涙の結晶である日本地図はとても美しい。徳川家斉は「我が国はこんなに美しいのか」と感嘆する。

伊能忠敬に畏敬の念をおぼえ、この美しい日本を大切に守っていきたいと思った。(和)