「南京大虐殺は本当にあったのか?」講演録⑤

⑤二十万人の根拠

東京裁判では二十万人虐殺の根拠として埋葬記録があるとした。崇善堂の埋葬記録が11万余り(112,266人)。世界紅卍字会の埋葬記録が4万人余り(43,071人)(うち南京安全区にあった死体は82)。これで15万人。これに加えて魯甦(ろそ)という人の証言で5万余り。これで20万人としている。

崇善堂という組織は赤ちゃんを引き取って育てる組織である。埋葬なんて出来ない。しかも当時の南京の人々の殆どは疎開していて、崇善堂で働いていた人々も疎開し活動は停止していた。よって11万埋葬したというのは全くのデタラメである。

紅万字会の記録、これは南京城内、城外を含めた記録である。日本軍が南京城に入ったとき市民は殆ど安全区に入っており、市民殺害があったとすれば安全区で起きたはずだがその死体は82である。12月初め安全区に市民が押し寄せた際、中国軍は市民の暴動を怖れ怪しい者を100人くらい射殺している。11日は日本軍の砲弾が安全区の境界近くに落ち、40人ほど死亡した。日本軍が安全区に入る前にこういった死体が82あったわけである。

魯甦の証言が57,418人の死体である。これは日本が中国市民を村に閉じ込めさせ餓死させ凍死させ、残りを揚子江に連れ出し射殺したというものだ。魯甦本人は洞穴から見ていたという。しかし57,000人余りを見て数えることができるのか。足を怪我していた魯甦は洞穴から揚子江までの4キロを歩いてついていき、日本軍に怪しまれなかったのか。たった2日で餓死したのか。辻褄の合わない証言ばかりである。

このように東京裁判でいう「二十万人殺害」は全くの嘘である。東京裁判は「つくりもの」ということが分かる。