久々に本を整理して本と漫画を別々にしていたら、かなり昔読んだ漫画の「日出処の天子(山岸涼子)」という聖徳太子がまだ厩戸皇子と呼ばれていた時代の漫画が出てきたので整理も忘れて読みふけってしまいました。この漫画は当時はかなりヒットして昭和58年には講談社漫画賞も受賞しました。
漫画ではあるけれど時代背景は勉強になり中学、高校の学生時代の歴史の授業では飛鳥時代(582年ごろ)に次の天皇を巡って蘇我氏と物部氏との権力争いがあり戦いになって蘇我氏が勝って崇峻天皇が即位したまでは何となく覚えていたのですが、その争いの裏には仏教と神道との争いがあった事は「あれ?習ったかな?」とすっかり忘れていました。
漫画では後世伝えられている聖徳太子の凄い言い伝えが描かれていますが。そのことで以前、本当は聖徳太子なんていなかったのではないのか?と言われた時期がありましたよね。私も子供のの時に周りの大人から「聖徳太子様は10人の人達が一斉に話しても、その言葉を一回で聞き分けられる事が出来たのだよ」とよく聞かされてました。確かに普通で考えれば人間離れしていますが「冠位十二階」や「十七条憲法」などあまりにも優れた方なので後世、色々な不思議伝説になっていったのかと…思います。
そして何より聖徳太子が願っていたのが天皇を中心とした政治だったと思います。というのは蘇我氏の権力は天皇を凌ぐほどであり蘇我氏推薦の泊瀬部王子を即位させ崇峻天皇となりますが段々と蘇我氏と関係が悪くなり蘇我氏は崇峻天皇を暗殺してしまいます。だからこそ聖徳太子は叔母の推古天皇を即位させ女性だからとそれを口実に自分が補佐役として天皇を暗殺するほどの権力があった蘇我氏の力を牽制させたのかと…。
そして当時、日本など「倭」と呼んで歯牙にもかけない大国の「随」に対して小野妹子を使者として「日出処天子」の書き出しで始まる国書を持たせて派遣させます。
この国書は当時の随の皇帝の煬帝を激怒させたそうです。
要するに聖徳太子は中国からの冊封体制から抜ける為にも「随」も「日本」も対等の立場だとを分かってもらう為の国書だったのでしょう。
これは当時とすれば大国であり先進国でもあった中国に対して凄い勇気と決断だったと思います。
親中というか媚中と言ってもいい今の日本の議員達には聖徳太子の「爪の垢を煎じて飲め」って言いたいですね。
だからこそ左巻き連中にとっては聖徳太子の存在は許せないものであり「本当は聖徳太子なんていなかった」というのは都合がいいのかもしれません。
私は本当はいなかったなんて冗談じゃないと思うし聖徳太子の「和を以て貴しとなす」は後々の日本人の国民性になったとも思っています。
今こそ聖徳太子の精神を生かす時ではないでしょうか。
(Y)