「南京大虐殺は本当にあったのか?」講演録⑥

⑥松井石根司令官の方針

松井大将という人は「日本と中国は手を組んでやらないとだめだ」という考えの人だった。

昭和12年8月14日に松井大将は上海派遣軍司令官を拝命、上海で21日に訓示を出す。そこでは「無辜の彼国民に対しては善くに慈を施し」、つまり中国人には優しくするんだよと兵隊に言っている。9月10日には日高信六郎参事官に「捕虜を正しく待遇すること」と話している。そういう中で日本軍が市民を殺したり、捕虜を殺したりはあり得ない。

その後日本に帰った松井は、日本兵、中国兵をともに弔ってやろうと考える。日本と中国が激しく戦った上海の大場鎮(だいじょうちん)。昭和13年2月に松井は軍司令官付きだった岡田尚氏に、大場鎮の土を練りこんだ像を作って供養したいから土を持ってきてくれと頼んだ。昭和15(1940)年2月24日、伊豆山に興亜観音を建立する。

日本兵と中国兵の弔いをする、松井大将とはこういう人である。松井大将に従っていた日本兵も大虐殺はしないのである。