”言論の自由を守るために戦おう”

産経新聞の「正論」欄で、麗澤大学のジェイソン・モーガン氏が日本の言論の自由について憂慮され、いま戦う時だと警鐘を鳴らされています。

 

”文化マルクス主義者や悪質な左翼と戦う時は今だ。

「そのことを言ってはいけない」と言われたら、もっと大きな声で言おう。

日本は嘘には真実で反撃すべきだ。

わたしは言論の自由の悲劇が日本でも起こらないように、肩を並べて戦う覚悟だ!”

 

日本の防衛と同様に言論の自由の戦いをアメリカの人に任せようというのですか?(仁)

言論の自由を守るために戦おう

麗澤大学助教・ジェイソン・モーガン

正論

麗澤大学助教のジェイソン・モーガン氏(斎藤良雄撮影)

麗澤大学助教のジェイソン・モーガン氏(斎藤良雄撮影)

 私はアメリカで生まれ育った。アメリカにいたときは、アメリカの位置付けが簡単にできていた。われわれアメリカ人は、自由な国民であり、ソ連や中国、その他の共産主義の国々と違って、言いたいこと、やりたいことは自由にでき、解放感にあふれている。一般国民もそれに感謝をしていた。

アメリカン・ジョークかもしれないが、少年の頃、はやっていた決まり文句がある。例えば家に遊びに来る友達が「トイレを借りてもいい?」と尋ねたら「もちろん。自由な国だよ」と必ず答えた。さほどに自由に満ちたアメリカに育てられた。

≪トランプ大統領はゴジラだ≫

しかし時がたつにつれ、微妙に事情が変わってきた。ポリティカル・コレクトネス(PC)による「言論弾圧」が登場して、少しずつ解放感が圧迫されるようになった。文化マルクス主義者が徐々に学校、教会、政府などあらゆる組織に潜り込んで、言論の自由を侵食した。

スピーチ・コード(規則)やルール、洗脳などによって異論を持ち出す人を追い出すケースも多くなってきた。

正直でぶっきらぼうな古典的アメリカ人が少なくなり、ジョン・ウェイン、クリント・イーストウッド、チャールトン・ヘストンのような男らしいタイプが珍しくなってきた。そして、ビル・クリントンやマーク・ザッカーバーグ、バラク・オバマのような人ばかりが増えてきた。自分が言いたいことではなく、自称エリートが言ってほしいことを言わなければならない。言論の自由が枯れてしまった。なぜアメリカはPCの国になったのか。

「平和」を保つために対立、多様性、異論などを抑えなければならない。それがPCの環境を助長する。文化マルクス主義者や反文明的な分子などが現れて、気に入らない意見を持つ人を村八分にし、迫害する。その状態が今のアメリカだ。トランプ大統領はなぜ人気があるかというと、一般国民がずっと言いたかったことを、代わりにぶっきらぼうに言ってくれるからだ。PCという怪獣と戦ってくれるゴジラは、トランプ氏なのだ。

≪日本にも行く末の不安を感じる≫

日本に来て初めて聞いたことがある。「アメリカは正論の国だ」と。いまも時々聞くフレーズだが、聞く度に悲しまざるを得ない。アメリカから「正論の自由」は消えた。言論の自由がリベラルに奪われて、われわれの最も大切にしてきた自由が、完全に静かに強奪されてしまったのだ。

「正論の国」ではなくなってからこそ、今味わえる自由のおいしさ。自由は当然のことであり永遠に続くと思っていた。アメリカという国が存在さえすれば、自由も存在すると。まるで無防備だった自分を振り返ると悔しさがこみ上げる。もっと自由のために戦えばよかった…。

しかし神は哀れみ深い。母国がダメになっても、その暗黒の中に光がともった。日本に来てこの国の素晴らしさ、この国の良さを肌で感じることを許された。エジプトから逃走してもイスラエルまで向かえる。失った故郷よりもすてきな故郷が待っていた。日本を心から愛している。とても素晴らしい国である。絶対にアメリカの二の舞いを演じないでほしい。

しかし私は今、この国の行く末をとても憂えている。作家の百田尚樹氏や、衆院議員の杉田水脈さんのケースにもあったように、「ヘイト・スピーチ」などのレッテルを一回でも貼られれば、言論の自由の「敵」の勝利になる現象が日本でも頻繁に起きている。

中国や韓国、北朝鮮という自由の敵国による言論の脅迫を受けても、反論や反撃をしない日本政府や日本国民は、まるで「爆睡中」であるかのようだ。どうしても目を覚ましていただきたい。

≪嘘には真実で反撃すべきだ≫

先日、キャスターの我那覇真子さんに招かれ、沖縄で講演会に参加した。札付きのアンチ・リベラルの私の講演にはきっと、反対派が詰めかけるだろうと考えていた。我那覇さんがハワイで講演会を開いたときには講演が邪魔され大騒ぎとなった。私はこれを聞いて申し訳なく恥ずかしく思った。

幸い沖縄の講演会では、混乱は起きなかった。でももしかしたら、反対派が小さなパフォーマンスを披露するような事態があるのではないかと身構えていた。そう考えた自分自身が悲しかった。日本でも少しずつ言論の自由がなくなりつつある。

「言論の自由を失った国」から来た私は、言論の自由がまだまだ残っている国の皆さんに訴えたい。起きて、気付け。

文化マルクス主義者や悪質な左翼と戦うときは今だ。「そのことは言ってはいけない」と言われたら、もっと大きな声で言おう。「日本はダメな国だ」と言われても信じないでほしい。それは嘘だ。嘘を認めたら言論の自由が危ない。嘘には真実で反撃すべきだ。私は言論の自由の悲劇が日本でも起こらないように、肩を並べて戦う覚悟だ。