川内先生の(17)「体罰絶対的禁止」が学校を機能不全にさせた

川内時男先生の教育改革案(17)です。体罰が良くないことは分かっていますが、体罰禁止も弾力的に運用すべきで、一切の力を禁止してしまっては学校は機能不全に陥ると言われます(仁)。

 

17、「体罰絶対的禁止」が学校を機能不全にさせた

 

改めて言うまでもありませんが、教育現場では子供に対する体罰は禁止されています。法によって明確に禁止されている以上、体罰は是か非か、などの議論は無意味です。

 

ご存じない方も多いでしょうが、実は体罰禁止は戦後になってからの話ではなく、明治の時代からすでに禁止されていました。ということは、体罰禁止は我が国の伝統教育とも言えるのです。

 

「体罰を禁止するから学校が荒れるのだ、そんな法律など廃止しろ」と言う声もありますが、私個人としては体罰禁止は正しい姿だと思っています。なぜなら体罰を全面的に容認すれば、指導力のない教師が力にたよった指導をするようになるからです。

 

しかし法律であれ何であれ、決まりというものは弾力的に運用することが肝要です。杓子定規に「いかなる場合も、いかなる些細な体罰も許されない」としていたのでは、現実の場面で法の趣旨が生かせません。

 

この場合の法の趣旨とは「教師が子供に対して理不尽な暴力を振るうことを防ぐために」と言うことです。その趣旨を踏まえることなく、杓子定規に解釈して、教師から一切の力の行使を禁じてしまっては、学校は機能不全に陥ります。

 

学校は全ての子供が身の危険を感じることなく、安心して学べる場所でなくてはなりません。それこそが「子供の学ぶ権利」です。この権利を保障するためにも教師による必要最小限の力の行使は認められなければなりません。

 

教師の指示に従わず反抗的な態度を取る子供の胸ぐらをつかめばこれが体罰、子供を厳しい言葉で叱りつけたら言葉の暴力、授業中に騒ぐ子供を廊下に立たせたら教育を受ける権利の侵害など・・・。

 

決まり事が硬直化して弾力性を失えば、そもそもの学校教育本来の機能が損なわれるのです。クラスメートに暴力を振るう生徒を見かけても、教師はその生徒を引き剥がすことしか許されません。教師の面前であってさえこうですから、教師の目の届かないところで起きる暴力やいじめなど、どうして止めることができるでしょう。

 

現場教師の苦労を知ろうともせず「力で子供を押さえ込むのは教育ではない」「加害者も被害者、話し合うことが大切」などと、きれい事を並べる無責任なマスコミやコメンテーターなどは教育を荒廃させた張本人と言えましょう。教育を語るのに「きれいな言葉」は無用です。

 

学校という所は「霊長類ヒト科の子」である子供を「教室」という「檻」に閉じ込めて「飼育」しているのです。この現実を忘れてファンタジーに浸っていては教育はできないのです。(拡散希望)

以上