おしゃれな保守?

わたしは学生時代だけでなくその後社会人になった大分あとまで、革新(左翼)であったことにいささか恥ずかしさが残っているのですが、そんな気持ちを笑い飛ばすような意見が産経新聞に載っていました(仁)。

 

おしゃれな保守になろう

《学生時代、「保守」であることを公言するのは、なかなか勇気のいることだった。知的でないと認めるようなものだったからだ。革新(左翼)にあらずんばインテリにあらずという、なんとも奇妙な空気があった。

左の人たちも・・・

ところがソ連崩壊後、中国なども含め共産主義のドロドロした部分が徐々に明らかになり、空気は変わった。

今やどうだ。革新を名乗るほうがむしろ後ろめたく、リベラルとかいうあいまいな外来語でごまかそうとする向きもある。一方で保守の株は上がった。左の方にいた人たちもこぞって名乗るようになった。

立憲民主党代表の枝野幸男氏も、保守なんだそうである。「自分は保守であり、リベラルである」「立憲民主党こそ保守本流の政党だ」と、著書「枝野ビジョン」に書かれている。

枝野氏によれば、自民党が「保守」しようとしているのは明治維新後の150年間の日本だが、自身はその10倍、聖徳太子の時代からの1500年間を「保守」するんだとか。(中略)

いいこと言うじゃないか。しかし同じ口で、万世一系を理解せずに「女系天皇への支持は大きい」などと言い出すから、ずっこけてしまうのだ。

保守とは、生き方でもある。”言っていることとやっていることが違うじゃねぇか”的な人たちにまで枠を広げたくない。(以下略)》

ーーー令和3年10月24日の産経新聞朝刊、論説委員川瀬弘至氏のコラム「日曜に書く」より。<一部抜粋>ーーー