ゲンは「数千万人の人間の命を平気でとることを許した天皇」と言うが、「大東亜戦争開戦の詔勅(米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)」を読むと昭和天皇がやむを得ず開戦を決意されたことが分かる。長文になるため、ウエッブサイト「日本まほろば社会科研究室」による「開戦の詔勅」のポイントをまとめたものを記す。
①米英との対戦は支那事変が原因である(中国問題の解決)。
②米英は蒋介石政権を支援することで東アジアを意図的に混乱させて覇権を握ろうとしている。
③日本炉の平和的交渉に際して日本側が到底受け入れられない条件を提示するなどして日本を弱 体化しようとした。
④我が国は東アジアの安定を図ろうとしてきたが、日本の存立も危うい状況となった。
⑤こういった事情で、苦渋の決断を迫られて武力による解決をせざるを得なくなった。
⑥自存自衛のため、日本は米英との戦争を決意するに至った。
(①~⑥「日本まほろば社会科研究室」より引用)
つまり侵略などという意図は全くなかった、追い詰められて自衛のために立ち上がらざるを得なかったというわけである。
渡部昇一氏の『増補決定版 日本史』(扶桑社)を読むと、日本が日露戦争に勝利すると、アメリカに敵視され始めたことが分かる。1924年にはアメリカにおいて「絶対的排日移民法」が可決される。そしてイギリスのチャーチルは日本がアメリカに宣戦布告をするように、ABCD包囲陣を画策したのだといわれる。最後通牒といわれる「ハル・ノート」は実はハル国務長官の手によるものではなく、ハリー・ホワイトという大蔵省の人間が書いたものであった。彼は戦後ソビエトのスパイ容疑で自殺しているからソビエトも日本の参戦に絡んでいた。こうやって見るだけでも、日本は中国に手を焼き、欧米列強に取り囲まれて、戦争に巻き込まれたという様子がまざまざと浮かび上がってくるではないか。
原爆の恐ろしさを伝えるのはいいだろう。しかし世界情勢も日本が置かれた状況も伝えずに、天皇陛下や日本の見えざる者へ刃を向ける、そういった本が教育の場で使われるのはやはり間違っている。これは何度でも繰り返し訴えていかねばならないことである(和)。