「領土・主権展示館」は、展示を通して「島々について、歴史を振り返りながら、日本が領有する根拠、他国・地域の主張や行動、それに対する日本の対応や考え方を説明」しています。
今回は「北方領土」について説明してみます。
①日本が領有する根拠
日本は江戸時代、松前藩が17世紀初頭から北方四島を自藩領と認識し、徐々に統治を確立していきました。1798年には江戸幕府が「大日本恵登呂府(だいにほんえとろふ)」と記された標柱を建て、日本の領土であることも示しています。
1855年には日本とロシアの間に「日魯通好条約」が結ばれ、択捉島とウルップ島との間に、平和的・友好的な形で国境が確定しました。
その後1875年「樺太千島交換条約」が結ばれて、シュムシュ島からウルップ島までの千島列島が日本領になり、1905年の「ポーツマス条約」で樺太(サハリン)北緯50度以南が日本に割譲されたという経緯を辿っています。
②他国・地域の主張や行動
1945年8月9日、ソ連が当時まだ有効だった日ソ中立条約に違反して対日参戦しました。日本がポツダム宣言を受諾して降伏の意思を明確にしたにもかかわらす、ソ連は攻撃を続け北方四島を占領しました。ここに領土問題が発生したのです。
1951年9月、日本はサンフランシスコ平和条約に署名、千島列島(北方四島は含まれず)と樺太(サハリン)南部に対するすべての権利・権原及び請求権を放棄しました。
千島列島とは日魯通好条約や樺太千島交換条約から明らかなように、ウルップ島以北の島々を指すものであり、北方四島は含まれません。
③それに対する日本の対応や考え方
北方領土問題が発生して以降、日本政府とソ連・ロシア政府との間で交渉が行われ、今日に至るまで継続中です。
1956年10月に「日ソ共同宣言」が署名され、平和条約の締結交渉の継続と平和条約締結後に歯舞群島と色丹島を引き渡すことが定められました(択捉島及び国後島の帰属については合意に至らず)。
1991年にはゴルバチョフ大統領が訪日(北方四島が領土問題の対象であることを文書で確認)、1993年にはエリツィン大統領が訪日(交渉継続を確認)、1998年にはモスクワで首脳会談(小渕恵三総理大臣とエリツィン大統領)が行なわれるなど、交渉は続けられてはいます。しかし端的に言えば、『平和条約締結で領土問題は解決しましょう』または『領土問題を解決して平和条約を締結しましょう』と繰り返されて一向に前進していないようにもみえます。
最近の交渉は2019年6月にプーチン大統領が訪日、安倍晋三総理大臣がG20大阪サミットの機会に首脳会談を行いました。
その後プーチンのロシアはウクライナ侵略をし、その手は止みません。交渉相手が難敵であると改めて突きつけられました。
しかし北方領土は日本の領土であると主張し続けることが肝要だと思います。