「領土・主権展示館」は、展示を通して「島々について、歴史を振り返りながら、日本が領有する根拠、他国・地域の主張や行動、それに対する日本の対応や考え方を説明」しています。
今回は「尖閣諸島」です。「尖閣諸島」とは、石垣島から北170km、与那国島から北約150km、南西諸島西端に位置する魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島、沖ノ北岩、沖ノ南岩、飛瀬などからなる島々の総称です。沖縄県石垣市に属しています。
①日本が領有する根拠
1885年以降、政府が沖縄県当局などを通じ、尖閣諸島の調査をし、尖閣諸島が無人島であり、他国の支配が及んでいないことを慎重に確認しました。1895年1月に閣議決定により尖閣諸島を沖縄県に編入しました。1896年には民間の実業家・古賀辰四郎が明治政府の許可を得て、本格的な開拓を開始しました。それにより多くの日本人が尖閣諸島に居住し、漁業を中心に鰹節工場や羽毛の採集などに従事したのです。
1919年、尖閣諸島の魚釣島近海で中国福建省の漁民が遭難した際、日本人によって救助されたことを受けて、1920年、当時の中国、中華民国駐長崎領事から石垣村長はじめ関係者に感謝状が贈られました。その中に「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と明記されています。中国は尖閣諸島が日本の領土であることを認めていたのです。
終戦後1951年に署名、1952年に発効したサンフランシスコ平和条約において、尖閣諸島はアメリカの施政権下におかれましたが、日本の領土として残りました。そして1972年、沖縄返還協定によって尖閣諸島を含む沖縄の施政権が日本に返還されたのです。
②他国・地域の主張や行動
1969年5月のECAFE(国連アジア極東経済委員会)が東シナ海に石油埋蔵の可能性を報告しました。その地図に尖閣諸島が記されました。1970年代に入ると、中国および台湾が、にわかに尖閣諸島に関心を露わにし始めたのです。
最近(1992年)になって中国は「領海および接続水域法」を制定。中国はその中で「尖閣諸島も中国の領土である」と定めました。しかし1958年の中国による「領海声明」では尖閣諸島への言及はありません。
2008年12月、中国国家海洋局に所属する船舶が2隻、突如として尖閣諸島周辺の日本の領海に侵入、2010年9月には尖閣諸島周辺の日本領海で、中国漁船が海上保安庁に巡視船に意図的に衝突してきました。
2012年9月に日本が尖閣諸島のうち三島(魚釣島、北小島、南小島)の民法上の所有権を民間人から国に移すと、中国海警局等に所属する船舶がほぼ毎日接続水域に入域するようになり、領海侵入も繰り返しています。さらに2012年12月以降は中国政府所属に航空機が日本領空を侵犯するようになりました。こうした状態は現在も続行中です。
③それに対する日本の対応や考え方
外務省の発行する資料によれば「日本は、サンフランシスコ平和条約などの国際法に従った『法の支配』に基づいた国際秩序を擁護する観点から、米国をはじめとする関係国と連携し、尖閣諸島に対する中国の挑戦には冷静かつ毅然と対処していきます」とあります。
しかし相手は国際法を守る気もなく、実力行使で来る国です。
今年の7月には尖閣諸島周辺のEEZ(排他的経済水域)内に中国のブイが設置されているのが確認されました。それに対し日本政府(松野官房長官の記者会見発言)は「速やかに外交ルートを通じて中国側に対して抗議し、ブイの即時撤去を求めた」とのこと。「引き続き~毅然かつ冷静に対処していく」とのこと。しかし「毅然かつ冷静に対処」とはなにか。結局、傍観しているだけです。さっさとブイを取り除いて、ブイを調べるくらいの対処をしてもらいたいものです。
ロシアのウクライナ侵攻、ハマスのイスラエル攻撃が現実に起きているのであり、日本にとっても他人事ではありません。
「わが国の領土、主権を守り抜く」、それは政府・国会議員・省庁が一番実行しなければならないことですが、実際どうなのでしょう。私たち国民一人一人が高い意識を持って、訴えていかなければならないと思います。