日常生活に見られる共産主義思想

共産主義と言えば暴力革命による社会変革と想起されるが、マルクス・エンゲルスの歴史観となった「家族・私有財産・国家の起源」を苦痛に感じながら読み終えました。本書は1884年にマルクスの遺稿としてエンゲルスが出版した共産主義書籍の古典であり、「これまでの歴史は階級闘争の歴史である」と言う唯物史観に立つ一方で、すべての民族の歴史の入口に原始共産制社会が存在していたと考えていた。これが為に両者とも古代史を熱心に研究し原始共産制社会の存在を固く信じ平等な共同体が有史以前に存在していたと主張した。その手掛かりとしてルイス・ヘンリー・モーガン(アメリカ、1818~81年)の文化人類学に求めた。モーガンは当時のアメリカインディアン社会を研究対象とし、人間社会の発展を「野蛮」、「未開」、「文明」の三段階に分けられると主張し、原始社会の構成を共通もしくは血縁集団を持つと言う意識・信仰による連帯感の下に結集した氏族社会であり、人口増加、生業の分業化・発展等により社会構造が変化して行ったと考えた。モーガン自身は白人優位主義者であり、共産主義の批判対象である父権的私有制には問題提起しておらず、まさかマルクス・エンゲルスに流用されると思っていなかったと推察する。

①野蛮時代:狩猟・採取が生業であり、社会は共有財産、男性と女性による集団婚(無規律性交)で最古のもっとも本源的な家族形態としている。その後血族婚家族、つまり集団内での相互性交から世代間関係を除外、祖父母・父母・子供・孫の世代意識が出来た。更にプナルア婚家族、性交から姉妹・兄弟を除外し、これに甥・姪・従兄弟・従姉妹の意識が加わり、近親生殖が制限された氏族社会に発展して行った。

②未開時代:動物の馴致・飼育(牧畜業)、穀物栽培が始まり、定住生活が定着し始め、土地所有等の私有財産及び富の蓄積が萌芽し始める。婚姻関係も集団婚の制限により、容易く解消可能な一夫一婦制の個別婚である対偶婚が成立し、誰の子であるか判別可能な母権制が主流の家族から個別婚への移行により父親の出自も判別できる様になった。

③文明時代:この時代になると牧畜、農耕、家内手工業による生産増大が見られ、生産に必要なより多くの生産物を獲得し始めた。青銅器後に鉄器が加わり、戦争による捕虜の獲得が奴隷に転化されることで大きな社会的分業が見られ、階級分化、つまり主人と奴隷、搾取者と被搾取者への分裂である。牧畜や粗暴な戦争の従事者は男性であり、家事労働は女性とされ、この家庭内分業が男女間の財産分配を規制した。この結果従来の家庭内の関係を逆転させ、男性の支配が深化し、母権制の転覆、父権制の採用、対偶婚の単婚への移行が永続化された。氏族社会の塊りである部族間交流、友好的であれ好戦的であれ、鉄器の発明により耕作地の拡大により部族が統合・融合され建築術の進歩により城壁を備えた都市化(危険と防御の必要性、人口の稠密化)が進んだと見られる。富の急速な増加は父権制の下では世襲制へと移行し、個々の家族の私有財産に進んで行く。氏族社会を構成していた諸部族の中で富者と貧者、債権者と債務者が混在し始めると氏族制度は分業とその結果である諸階級への社会の分裂により崩壊し、「国家」に置き換えられる。ここでの国家は第一に氏族社会が崩壊した後の領域による国民の区分であり、第二に公権力の樹立とそれを維持する租税の徴収であり、階級対立を制御する性格を持つものである。つまり階級の抗争のただなかで生じたのであるから、もっとも有力な経済的に支配する階級の国家であり、被支配階級を抑制し搾取する為の新しい手段を獲得する。古代国家では奴隷を抑制するための奴隷所有者の国家であり、封建国家では農奴・隷属的農民を抑制するための貴族の機関であったし、近代国家では資本による賃労働の搾取の道具である。

本書ではギリシャの氏族とアテナイ国家の成立、ローマの氏族と国家、ケルト・ドイツの氏族とドイツの国家形成と続くが、ローマ国家はその存在権を対内的には秩序の維持、対外的には蛮族に対する防衛の上に築かれたが、末期には総督、収税史や兵士の強奪が横行し耐え難い迄に増大した。ゲルマン民族の大移動によりローマ帝国は滅亡するのであるが、ゲルマン社会は未開の氏族社会である一方、地縁的性格を持ち、ローマ帝国内の被抑圧階級である農民に地域的結束と抵抗を与えた。ドイツ人がローマ人世界に植え付けた活力のあり活気をもたらす全てのものは未開性であり、未開人だけが瀕死の文明に悩む世界を若返えさせると記述している。また最終章の最後には「行政における民主主義、社会における友愛、権利の平等、普通教育は経験と理性と科学が不断に到達しようと努める次代のより高度な社会段階の手ほどきをするであろう。それは昔の氏族の自由・平等・友愛の復活、だがより高度な形態での復活であろう。」と締めているが、より高度な形態が何であるかは答えていない。

以上が本書の概要と思われますが、かなり端折った記載となってしまいました。読んでいる内に想起されるのは、夫婦別姓、ジェンダーフリー、男女共同参画、LBGT等を声高に主張している人達は程度の差はあれ、共産主義・社会主義者であり、個人名で言えば不破哲三・志位和夫、上野千鶴子(代表作:家父長制と資本制)、和田春樹等でしょう、空想しているしか言いようがない共有財産・母系家族・部族社会と言う原始共産制社会への回帰が思想の根底にあるのでしょう。女性、性的マイノリティ、在日外国人等を被抑圧者として扱い社会の分断を図ろうとし、国家をめちゃくちゃにするとしか思えません。更には国家は支配者階級の機関であるとするのは主権概念の恐ろしい欠如そのものと言えましょう、だから憲法改正、防衛費増大に激しく反対しているとしか思えないです。(修)