投稿:『リベラルなら許す』(3)をお送りします。
山之邊雙様、ご投稿ありがとうございました。
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(八)
そんな中で、相変わらず聖人のように讃えられているのが吉永小百合氏です。
この人が主演した「キューポラのある街」は、北朝鮮を理想が実現された素晴らしい国として描き出し、帰還事業に参加して北朝鮮に向かう在日の人たちを明るく描き出しています。
「キューポラのある街」が公開されたのは昭和三十七年(一九六二)のことで、このとき吉永氏は十七歲でした。制作していたときには十六歲だったのでしょう。
これをもって、「未成年だったのだから、吉永氏に責任はない」という弁護論があります。
しかし、昭和四十年(一九六五)には、続編『未成年 続・キューポラのある街』が公開され、ここでも吉永氏が主演しています。この時は二十歳。
二十歳なら未成年者とそうは変わるまいという弁護論ももっともですが、問題は、氏がその後も北朝鮮や帰還事業をほめ讃える発言を繰り返していることです。
平成三十年(二〇一八)に、日本大学芸術学部の生徒たちが運営する映画祭「朝鮮半島と私たち」が催されましたが、ここにも七十三歲になった吉永氏がメッセージを寄せ、「キューポラ」のことを、「一九六二年の作品です。真冬の川口駅前で、深夜に大勢の人々が朝鮮の歌をうたい、私達の映画を盛り上げてくれました。そして彼らは帰還船に乗り、故郷に帰って行きました」と自画自賛しています。
胸が痛まないのかなあ、と私の胸が痛んでしまいました。
昭和三十七年の第一作では、今村昌平氏が脚本を担当しましたが、氏は後になって、「当時は食えなかったんで(略)“北朝鮮は天国のような大変良いところだ”とデタラメを書いてた」と述懐したとのこと。さらに、「とんでもない作品を作ってしまった」と反省の弁を述べました。(キューポラのある街 Wikipedia)
吉永氏は恬として恥じる所がありません。
(九)
また、当時帰還事業に携わった人の中には、かの国が「地上の地獄」だと知った後で後悔し、日本人妻の帰国運動に取り組んでいる人もいます。
吉永氏は、人によっては天使、人によっては女神だという人もいます。その人がナチスに匹敵する残虐行為に加担し、十万人を「地上の地獄」に送り込んだのです。良心というものを持たない女神なのでしょうか。
吉永氏の罪は土井たか子氏に匹敵するものがあります。土井たか子氏は晩節を汚して、百田尚樹氏から「売国者」と呼ばれました。
吉永氏が相変わらず世の批判から超越していられるのはなぜでしょう。
この人が共産党機関紙「赤旗」の一面に写真の載る人だと知っていますか。何をか言わんや、と慨嘆するしかありません。
リベラルだから非難を免れたのですが、でも、土井氏もリベラルだったのですよね。
同じリベラルでも、土井氏は叩かれ、吉永氏は世の批判から超越しています。鳥越氏の場合とは逆でしょうが、なぜ吉永氏は土井氏にならないで済んだのか、私は不思議でならないのです。ルッキズムが働いているのかな。
でも、保守派だと美人でもダメです。ルッキズムとリベラルが合体すると特殊な化学反応が起こるように私には思われます。衣塑子氏ももうちょっとだけおとなしくしていればその波に乗れたかも知れなかったのに。
こんなふうに、現代日本では、悪魔に魂を売った人たちが、リベラルでありさえすれば、「平和を愛する良心的な人」と呼ばれて、マスコミにもてはやされます。
マスコミがもてはやすと、一般の人も、へんだなあと思いながら、「そんなものかも」と妥協して、ナチスと変わらない悪逆を看過してしまうのです。
すごい国だなあ、と思いませんか。
以上