六代目 神田伯山襲名に思う

講談界の風雲児、神田松之丞が2月11日に真打昇進とともに六代目「伯山」襲名をした。この披露興行が40日間行われている。

既に新宿末廣亭の興行を終えて浅草演芸ホールに場所を移しているが、毎日満席、立ち見も出るほどの盛況だ。

そもそも講談とは何か?

よく落語と講談の違いは?という問いが出される。どちらも座布団に座って話をする芸だが、落語は江戸や明治、大正の庶民の生活の話でほぼフィクションなのに対し、講談は歴史上の事件、人物の話でノンフィクションだ(ノンフィクションといっても脚色は大いにある)。

落語の小道具といえば扇子に手拭い。
講談は前に釈台を置いて、時々右手で持った張扇でパンパンと釈台を叩いて、調子よく話をする。

観客はただひたすら講談師の話を聴く。
ト書きの名調子、会話は人物を演じ分け、張扇が時に刀にもなり、いつの間にか観客は物語の世界に引き込まれていく。

さてこの神田伯山、まだ松之丞の方に馴染みがあるが、TVやラジオに引っ張りだこ。とにかく話が面白い。芸能人やマスコミ関係等々、遠慮なく批判するのだが、的を得ていて気持ちがいいのだ。

そんな伯山だが本丸の講談が素晴らしいから誰も文句は言えない。私も何度か生を聴いた。赤穂義士伝、寛永宮本武蔵伝、慶安太平記などなど。

とかく歴史教育問題に取り組んでいると「日本の伝統・文化を重んじ」と言うことが多い。

しかし、その伝統・文化も高貴なものとして掲げるのではなく、もっと身近に楽しみ、親しみ、愛着を感じることが大事なのではないか、と思う。

大衆芸能、されど伝統芸能でもある講談。
講談を楽しむ中で自然と日本の伝統・文化を愛するようになる。こんな形もいいと思うのだ。(和)