葛城奈海氏講演会「君民一体の大和の国を受け継ぐために」④

【日本人と天皇~海外戦跡慰霊の旅~】

①サイパン島

「サイパン島で出会ったデビット・サブランさんは当時94歳(このお話は葛城氏の産経新聞掲載のコラム『直球&曲球』に掲載。掲載日は2015年12月10日で、サイパン島を訪れたのはその年の11月末という:筆者補足)。

サブラン氏は戦前戦中に日本の公学校で学び、毎朝登校すると日本の方向に向かって最敬礼し、海軍体操をして丈夫な体になったと話す、背筋の伸びた格好いいお爺ちゃんでした。戦後は算盤が身を助け、サイパンの経済界の重鎮となられた方です」

「サブラン氏は『Help us』『私達を助けて下さい』と何度も仰有いました。それは“日本人よ、サイパンに来て下さい”という意味でした。ある時期から日本人は来なくなり、マナーの悪い中国人や韓国人ばかりになってしまい困っていると。日本人がそれだけ慕われているのは、先人達が現地の人々と素晴らしい絆を築いていて下さったからなのです」

「平成の時代、天皇皇后両陛下がサイパンに慰霊の旅に行かれると決まったとき、韓国コミュニティで反対運動が起きたそうです。それに対しサブラン氏は『そんなことを言うなら、お前達が出ていけ!』とその人達を一喝したそうです。

その後、両陛下が無事に慰霊の旅をお済ませになりました。サブラン氏はとても感激したそうです。公学校時代からずっと天皇皇后両陛下は憧れの存在だったのです。

天皇皇后両陛下は韓国の慰霊碑の前でも最敬礼されて慰霊のお気持ちを表されました。昭和から平成へ時代は変わっても、変わることなく尊敬する御存在であるとサブラン氏は仰っていました」(和)