葛城奈海氏講演会「君民一体の大和の国を受け継ぐために」③

【皇統の危機の解決策】

「どうして皇統が危機にあるのか、それは戦後GHQによって11宮家が皇籍離脱を余儀なくされてしまったからです。GHQは皇室の財産を没収し90%という重税を課すことを決定、皇室自ら人数を減らし対処せざるを得ないようにしました。そのとき、11の宮家が臣籍降下してしまいました。それがなければ皇統の危機はなかったのです。

そう思うと、他国の圧力によって、日本の皇統を断絶し弱体化させようとして変えられた法を、私達は自分自身の力で元の姿に戻していかなければならないのではないでしょう」

そのとき皇籍離脱を余儀なくされた11宮家とは、伏見宮(ふしみのみや)、閑院宮(かんいんのみや)、久邇宮(くにのみや)、山階宮(やましなのみや)、北白川宮(きたしらかわのみや)、梨本宮(なしもとのみや)、賀陽宮(かやのみや)、東伏見宮(ひがしふしみのみや)、朝香宮(あさかのみや)、竹田宮(たけだのみや)、東久邇宮(ひがしくにのみや)です」

「これまでの歴史でも、こうした皇統の危機は何度かありました。そのたびに先人たちは知恵を絞って乗り越えてきました」

「一番分かりやすいのは第25代の武烈(ぶれつ)天皇の時です。ご子息もいなく後継者が周りに見当たらない。その時、第15代の応神(おうじん)天皇まで遡り、その傍系から5代下りた方を探し出し、継体(けいたい)天皇(武烈天皇からは10親等離れている)として即位していただいた、という荒業を成し遂げました」

「第48代の称徳(しょうとく)天皇から第49代の光仁(こうにん)天皇までは8親等離れていますし、第101代の称光(しょうこう)天皇から第102代の後花園(ごはなぞの)天皇までも8親等離れています。

第118代の後桃園(ごももぞの)天皇から第119代の光格(こうかく)天皇までは7親等離れています」

「ですから困ったときは先人達に学べばよい、という話です。

現在、悠仁親王と同世代の皇族がいませんが、GHQによって臣籍降下させられた宮家に皇籍復帰していただければ何の問題もありません」

「戦後70年も経ち、一般の日本人になられた方が宮家に戻るのはどうか、という方もいます。しかし皇籍復帰していただく方はなにも成人男子でなくてもよいわけです。男系の子孫であれば生まれたての子供が今残っている宮家に養子として入られる、という方法もあります。これはハードルが低く現実的ではないかと思います。

また明治天皇の玄孫でいらっしゃる竹田恒泰氏の唱える案として、男系子孫の方が夫婦養子で現宮家に入ってもらえば、その子供は生まれながらの宮家になる、というのがあります」

「立皇嗣の礼の後再開された『安定的な皇位継承を議論する有識者会議』は意外と良い結果になっています。ヒアリングのお一人である新田均先生(皇學館大学教授)も、今回の有識者会議は周到に準備されたように思う、と仰っています。21人のいろいろな方が入っておられますが、トータルで『男系(旧宮家)に(皇籍)復帰してもらう』という方が多かった。(この結果を受けて)新田先生も、ゆったりした気持ちで待っていればよいのではないか、と仰っています」

「とはいっても、国民は女性天皇・女系天皇の違いも分からない人が多い。今日集って下さった方々にはその違いを周りの方に教えていただきたいと思います」(和)