「平安貴族と穢れ思想」

YouTubeで作家の「井沢元彦」さんの歴史動画がやっていたので見てみました。そこで、ふと昔(かなり前ですが)「井沢元彦」さんの著書「逆説の日本史」を何冊か読んだ事を思い出しました。読んだ中で私が特に印象に残った内容がありました。

それは平安時代に一度だけ日本が攻められた事件です。「刀伊の入寇」と呼ばれ1019年に壱岐、対馬、北部九州に海賊とみられる女真族が上陸して散々、暴れまわり壱岐では島民の男44人、僧侶16人、子供29人、女59人が虐殺され女239人が連行されました。対馬では36人が虐殺され、男102人、女244人が連行され家々は燃やされ九州北部沿岸(筑前、肥前)も襲われました。

この「刀伊の入寇」事件の5年ほど前に眼病の治療の為に太宰権師を拝命して出向していた中関白家出身の公卿「藤原隆家」は武官ではありませんでしたが、この危機に九州武士団、東国から派遣された武士団を率いて勇猛果敢に戦い最終的に女真族を逃亡させる活躍をしました。

しかし京都の朝廷の貴族達はこの「藤原隆家」率いる武士団に対して「恩賞をあたえるか、どうか。」で議論をして最終的にしぶしぶと武士団には恩賞が与えられましたが、いち早く立ち上がり一番活躍した「藤原隆家」には何も与えられませんでした。(そもそも最初は武士団に対しても恩賞必要なしの方向だったようです。)

この時代、朝廷の貴族達は儀式などが無事に遂行させる事が出世の道であり自国が侵略されようが、どんなに犠牲がでようが殆ど関心がなかった様です。

それどころか日々、「平和、平和」と祈ってる朝廷の貴族達にとっては「血」を見る戦いそのものが「穢れ」で命がけで国を守ってくれたというのに国を守るという重要性についても少しも考えようともしなかった様です。

平安時代には「死刑」はありませんでしたが、これも「死」や「血」という言葉(言霊)さえ不吉、「穢れ」とされていたからの様です。だから平安貴族達にとって他国からの侵略など考えることすら「穢れ」とされ頭の中はお花畑の思考停止状態になってしまったようですね。

この平安貴族達の考え方って現在の左巻き連中の「九条を守れ」「平和、平和」「死刑制度反対」の主張によく似てますよね。只、この「穢れ思想」的な考え方は左翼の主張だけでなく今でも日本に根強く残っていると思います。

戦後、GHQの洗脳によってこの戦争は日本が全て悪いとされ戦争は「穢れ」とされ、もし他の国に侵略されたらと考える事すら不吉とされ考える事が許されない雰囲気でした。でも日本が憲法を改正出来ないのはどうもGHQの洗脳だけではなく「死」「血」を「穢れ」と考える平安時代から脈々と続いてきた日本独特の「穢れ思想」にも原因があるのではないかと感じてしまいます。

でも日本は恐ろしいほど敵に囲まれている国です。亡き安倍元首相言われた通り「台湾有事は日本有事」です。「穢れ思想」に縛られて戦争について考える事に対して「見たくない!考えたくない!」では済まなくなってきてると思います。日本はもういつ攻めてこられても、おかしくない状態です。一日も早い憲法改正が望まれます。

この美しい日本に生まれた日本人の子供、孫、子孫たちに私達の世代が大きなツケをを残してはいけないと心から思います。(Y)