リベラルって、きったねえなあ(二)

山之邊雙氏のご投稿、「リベラルって、きったねえなあ」の(二)をお送りします。

皇室問題に関してリベラルが言ってきそうな、やってきそうなことを的確に書いておられます。

「リベラル あるある」をお楽しみください(仁)。

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リベラルって、きったねえなあ(二)  山之邊雙

 

さて、皇位継承にかかわりなくとも、皇族の数が減って、皇室行事の遂行にも障碍が出ているという。

そこで、政府は「女性皇族が結婚しても皇族のままだが、その夫や子供は皇族にしない」という案を検討している。

これにも反対したいと思う。当面は、女性本人だけが皇族に留まるとしても、そのうちに必ずやリベラルが、「その子供にも皇位継承権を与えるべきだ」と言い出すに決まっているからだ。リベラルがどこまで汚いかを、政府は見抜くことができないのか。

しかも、「当面、(夫や子供を)皇族としない方向で意見集約に入った」と報道されている。「当面」が問題だ。いずれ、法改正をして、皇族とするつもりなのだ。保守派を宥めるために、嘘を言うわけだ。それが分かっているのに騙されてしまうほどに、保守派はお人よしなのだろうか。みんな断乎として反対して欲しい。

 

だいたい考えてみるがよい。男性皇族が宮家を作った場合、妻(妃)は皇族になる。それでいて、女性皇族の夫が皇族になれないとなったら、これをリベラルが放置しておくはずがない。夫や子供が皇族になれない女性宮家ができたら、たちまちのうちに男女不平等だといういちゃもんがついて大騒ぎになるに決まっている。

「夫や子供を皇族と認めない女性宮家」というのは、一瞬の間しか存在できない運命に定められているのである。

 

自民党の中にも、二階幹事長や野田次期首相候補のように皇室の破壊を事としている連中がいる。中国政府の意を受けているのだから、リベラルを「きったねえなあ」と批判することができないばかりでなく、自分たちが「きったねえなあ」という存在に堕しているのだ。そういう連中が「当面」を入れさせたのだろう。

 

忘れてならないことだが、中国政府が女系天皇推進を日本のリベラルに働きかけている。内モンゴルの小学校で、ジンギスカンの伝記を教えさせないようにしているのと同じで、日本人のアイデンティティを奪うのが目的である。

平成二十八年(二〇一六)、国連女子差別撤回委員会が女系天皇を認めるように皇室典範を改正せよと勧告した。リベラルは鬼の首を取ったかのように喜んだが、国連そのものが中国に牛耳られているのだから、かの国の差し金なのだ。いちいち騒ぐな。

ついでに、習近平は野田首相の誕生を待望しているという。そりゃあそうだろう。

 

平成二十四年(二〇一二)頃、「尊称保持」という案が出て来たことがあった。

女性皇族が、結婚して臣籍降下(俗に「皇籍離脱」と言う)しても、「内親王・女王」という尊称はそのまま付けるようにしようという案だった。

私はこれは非常によい案だと思った。

ところがリベラルが反対した。言うまでもない。尊称保持を認めると、女性宮家の創設に邪魔になるからだ。

そして、反対派の論拠の一つが、「尊称保持を認めると皇室典範を改正しなければならなくなるから」ということだった。

これがまた、田嶋陽子氏の「天皇制が続かなくなるからいけない」と同じ、論理のない屁理屈だった。

考えてもみるがよい。女性宮家を作ったら、皇室典範を改正しなければならなくなることは言うまでもない。ところが、女性宮家を作ろうという人たちが、「尊称保持のためには皇室典範を改正しなければならなくなるから」と言って反対するとは、何という論理の破綻であろう。意見を発表するときには、論理的に誠実でなければならないという言論の初歩が分かっていないのだ。

そもそも、皇室典範の改正がどれほどの手間だというのか。反対のための根拠を捏造しただけだ。

夫や子供を皇族にするのは論外だが、私は、本人だけを皇族にする女性宮家よりも、尊称保持が一番よいと思う。その方が、リベラルに利用されにくくなる。報酬を出すべきかどうかはまだ議論の余地があろう。少なくとも、女性宮家よりも金がかからないことは明らかである。皇室に金をかけすぎると主張するリベラルが、これに反対するのは、別の魂胆があるからだ。

 

似たような不誠実さが見られるのが、「旧皇族は七十年以上前に皇族でなくなっている。国民にはなじみがないから皇籍復帰は受け入れられない」という意見だ。

ところが、女性宮家が誕生した場合、その夫は、国民から見れば、まったく馴染みのない人になる。それを皇室に受け入れろという人たちが「旧皇族は馴染みがない」とは、「きったねえなあ」としか言いようがない。とにもかくにも、万世一系をつぶしたいから旧皇族の復帰には反対なのである。