投稿:『リベラルなら許す』(1)

投稿をいただきましたので掲載させていただきます。

まさにこのような空気が日本のメディア、言論界を覆っています。もちろんメディアの罪は大きいのですが、我々がこれにしっかり反論するなり対応してゆくことが必要ですね。

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『リベラルなら許す』(1)

(一)

平成三十年(二〇一八)、福田淳一財務次官がテレビ朝日の女性記者にセクハラ発言をして辞職しました。さらに同年、米山隆一新潟県知事が若い女性と援助交際をしたことが発覚し、知事を辞任しました。

その前年(二〇一七)には、前川喜平文部科学次官が歌舞伎町の「出会い系バー」という所で、「店内で気に入った女性と同席し値段を交渉した上で店外に連れ出していた」(読売新聞)と報ぜられました。

前川氏は「文部科学省天下り問題」で懲戒処分を受けて辞職した直後でした。しかも、出会い系バーへ行っていたのは、在任中の時期からだったとのこと。

 

福田氏と米山氏は時期が重なっていただけに、しきりに比較して論ぜられました。

福田氏は言葉だけのセクハラでした。米山氏は、出会い系サイトで知り合った女子大生に一回三万円~四万円を渡して性行為に及んだとのこと。日刊スポーツによれば「新潟県知事が買春辞任 女子大生2人と『月2回』」ということですから、二人の女性と同時進行だったのかも知れません。

この二件は、どちらも刑法に触れる事件ではありませんでしたが、性加害に対する糾弾が厳しくなって来た折だったので、大騒ぎになりました。

(二)

福田氏はその後、天下りをしようとしましたが、この事件のおかげで、どこからも断られてしまいました。幸い若い頃に司法試験に合格していたので、弁護士資格認定制度(合格者が一定の職についていれば司法修習を免除される)によって、弁護士登録をすることができたということです。今でも何かにつけ叩かれます。

福田氏の場合、相手の女性記者は、録音を編集して、自分のセリフ部分をカットしています。どんな誘導があったのか察せられます。

この小細工は、事件そのものがハニトラであったのではないかという疑惑を抱かせます。

そして、誰も、カット部分を出せという要求をしないのです。触らぬ神に祟りなしとはこのことです。

 

それに対して、米山氏は、辞職した翌年、室井佑月氏と結婚、さらに、その翌年には新潟で立憲民主党から立候補して、見事衆議院議員になりました。過去を云々して批判する人は少ないようです。

マスコミは福田氏には厳しく、米山氏には甘いのです。その理由は問うまでもありません。福田氏は保守で、米山氏はリベラルだからです。

インタネットで、「米山氏よりも福田氏の方が悪い」という文を読んで、やっぱり、とうなづくしかありませんでした。何をしてもリベラルなら許されるのです。

誰がどう考えたって、米山氏の方が悪いに決まっています。援助交際はいわゆる「買春(かいしゅん)」です。リベラルはつねづね買春は女性の人権を蹂躙する最悪の行為だと言っています。これが自民党の政治家だったら、再起不能になるまで叩くはずです。

私は米山氏の行為は、はるか昔の宇野宗佑首相の事件(平成元年/ウィキペディア参照)と変わらないと思っています。宇野氏は名前を聞いただけでみんなが笑うほどの恥さらしになってしまいましたが、同じことをした米山氏はむしろ好意的に見る人が多いのです。

リベラルで米山氏を叩いたのはツイフェミ(説明しません/Wikipedia参照)だけでした。へええ、ツイフェミがリベラルを叩くことができるんだ、とちょっと見直しましたが、中国の人権問題・性差別問題を批判することは全くできないのですから、社会正義や女性の人権のために戦ったとは思われません。どうも室井佑月氏と内ゲバをしているという事情によるものらしい。

福田と米山のこの片手落ち。いくらなんでもひどすぎませんか。

(三)

前川喜平氏に至っては、「聖人説」が出ています。

出会い系バーへ行ったのは、「貧困女史の調査」をするためであり、買春の意図も事実もなかったというのです。女子トイレに忍び込んだ男が、痴漢も盗撮ものぞきもするつもりはなかった、掃除ができているかどうか見に行っただけだというようなものです。

上記の読売新聞の記事のように、気に入った女性を連れて出て行ったという証言も少なくありません(インタネット)。

いや、そもそも、風俗産業に何度も出入りして、下心がなかったなどとそんな言い訳が通るわけがありません。本当に調査のためなら、なぜ部下を連れて行かなかったのですか。脇が甘いなどという話でなく、犯罪の一歩手前まで行ったのです。

ところが、前川氏は本当に貧困女子を思いやって調査をしたのだと弁護する人が少なくありません。これが「聖人説」。

(四)

福田・米山・前川の三人を比較してみると、一番非難されるべきは米山、その後、前川・福田の順でしょう。

ところが、実際には、福田氏が一番叩かれ、米山・前川は不問に付されています。

もちろん、リベラルマスコミが「リベラルなら許す」という恣意的な基準を当てはめたからです。

保守だったら叩かれ、リベラルなら守られます。

これが戦後日本のマスコミの伝統です。

ところが、いつもこの法則が適用されるかというと、時々例外があるから面白い。

 

平成二十八年(二〇一六)の都知事選挙では、共産党以外のリベラルはこぞって鳥越俊太郎氏を支持しましたが、にわかに女性問題が噴出して、立候補辞退かと言われました。結局最後まで残って、敗戦の憂き目を見ました。このときはリベラルも一致して擁護するわけには行かず、宇野宗佑氏と変わらない赤っ恥を掻きました。

社会正義よりも女性の人権よりもイデオロギーを優先するリベラルがなにゆえに鳥越氏を見棄てたのか、私は不思議でなりませんでした。

米山氏と鳥越氏とどこが違ったのでしょうか。

『リベラルなら許す』(2)へ続く。