朝日新聞的教育観の崩壊(三) 山之邊雙

山之邊雙氏よりの寄稿(三)を掲載いたします(仁)。

 

朝日新聞的教育観の崩壊(三)   山之邊雙

 

陥穽の第二は、本当に「出るのを難しく」したらどうなるのかという問題だ。DQN大学(Fランク大学ともいう。米人にpig universitiesと言ったら通じなかったが、worthless universitiesと言ったらよく理解してくれた)の卒業が本当に難しくなったら、せっかく入ったのに(せっかくでもないのだが)、中退する者が続出するのは想像に難くない。

そうなったら、朝日や日教組などのリベラルは、「入れたからには大学側は責任を持って卒業させてやるべきだ」と言い出すに決まっている。あの連中、マッチポンプだという所以である。

 

そんな前提で、「入るより出るのが重要だ」ということになって、受験戦争反対論が幅を利かせた。それが、戦後の知性軽侮の風潮と相まって、「学歴で差別してはいけない」という世論を作った。

「風が吹けば桶屋が儲かる」という。この問題では、「学歴主義反対」という風が吹いて、儲かったのは、DQN大学出身の二世政治家だ。昔だったら、大学の名を聞けば、有権者も投票をためらったであろうに、それをしてはいけないとマスコミが言うものだから、不審に思いながらも入れてしまう。名目だけの平等論が無能政治家と格差社会を生み出したのだ。

 

ひろゆき氏の意見を私は尊重したい。この意見は、日本の教育界の偽善を打破するために貢献するだろう。

ところが、右に述べた「しんじろおぼかたこむろけい」のズルが、ひろゆき氏の陥穽になってしまう。

 

学歴主義反対論者は、「いい大学を出たからと言って、優秀だとは限らない」と言い募ってきた。これは為にする言い方である。そりゃあ、100%の相関関係はないだろう。しかし、企業では、「一流大学から採用すれば、はずれが少ない」と言う。かなり当たるのだ。庶民だってそれが分かっているから、DQN大学の学生に子供の家庭教師を頼んだりはしない。

 

しかるに、最近はそれが怪しくなって来た。AO入試という無試験入試で入った学生の学力は驚くべきものがあると大学関係者なら誰でも知っている。しかも、このAO入試で入る学生の数が最近著しく増加している。大学によっては、合格者の過半数を占める。

リベラルなマスコミの中には、「入学後の追跡調査によると、AO入試で入った学生は成績がよい」と言っている所があるが、大学関係者に訊いたら、「真っ赤な嘘だ」と言っていた。マスコミは統計なんぞ好き勝手にいじるんだよ。

 

そういう学生でも、大学のブランド名で一流企業に就職するというズルが行われている。入る時もズル、出るときもズル。一般入試で入った学生は、心ひそかに憤っているが、もの言えば唇の寒い日本社会では黙っているしかない。

学歴フィルターで不正に優遇されるのは、朝日日教組ご推薦のズル入試で入った学生の場合だけなのだ。

ただ、企業では最近、一流大学の学生が面接に来ると、一般入試で入ったのか、AOなどのおかしな入試で入ったのかを確認するようになって来たと言われる。噓をつかれたら、なおさらずるい奴がトクする結果になるが、その確認をしっかりやれば効果はあるだろう。

 

そして、もっと大きな問題は、高校生がズルだらけの入試に敏感になって、「なんとかうまい方法はないものだろうか」と安易な道を探るようになっていることだ。法網をくぐる犯罪者が、新たな手を考え出すのにも似ている。道義心が損なわれないはずがあろうか。日本のリベラル教育が、若者を腐敗させ、日本全体を不正社会に変えているのだ。

ズル入試が正義を没却させている。

 

朝日新聞的教育観は、戦後日本を席捲した「朝日岩波世界観」の一端が今なお残っているのであり、福島瑞穂氏の言う「北朝鮮のミサイルを迎撃してはいけない。当たったら、残骸が落ちて来て被害が出る。当たらなかったら、北朝鮮まで飛んで行って被害を出すかも知れない。憲法違反だ」という思想と根が同じなのである。

戦後四半世紀が三つも過ぎたのだ。いい加減目を覚まそうではないか。