投稿:「暴力と言論」

読者の方から引き続き投稿依頼がありましたのでご紹介します。

 

『暴力と言論』 山之邊 雙

私は今は亡き石原慎太郎氏の都知事としての実績を高く評価している。戦後最高の都知事だ。因みに最低の都知事は美濃部亮吉と青島幸男。

石原氏の特筆すべき功績は、東京都立高校の学校群制度を廃止し、さらに全国の先鞭を切って、学区制なる偽善と愚昧の象徴を追放したことだ。これは称賛に値する。日教組的・朝日新聞的教育観と訣別したのである。

 

しかし、それはそれとして、石原氏のあの暴力的性向は流石に辟易するものがある。氏が若い頃、都心の道を歩いていたら、若者が氏を見て、悪口を言っているのが聞こえたので、傍へ寄って殴りかかったという。これは氏自ら書いている回顧録だ。

暴力的な発言をすることが多かったが、その極めつけが平成二十四年(二〇一二)四月の事件である。静岡県富士宮市で氏原作の映画の撮影があった時、取材に来ていた朝日新聞記者に向かって、「おい、おまえ、朝日か。この野郎は意地悪いんだよ。——————-みんなの前で殴るからな」と恫喝したのである。

この石原氏の発言がどの程度の非難に値するかは主観的な問題である。米国のラッパー、ウィル・スミスがクリス・ロックを殴打した事件も評価が分かれている。

私は石原氏の政策をほぼ全面的に支持しながらも、こういう所が人柄に心酔できない理由なのだが、それは今日は触れないでおこう。

 

問題は、朝日新聞の価値観から考えると、この事件は絶対に許せないことだということだ。朝日がつねづね暗黙のうちに言っている所によると、ジャーナリストは世界で一番偉い人種だから、それに対して暴力的発言をするのは万死に値する。しかも、言われたのはジャーナリストの中でも一番偉い朝日の記者である。

ところが、朝日はこの石原発言に対して何の抗議もしなかった。

ジャーナリストが「強(・)きを助け、弱(・)きを挫く」存在であるとはすでにして世を席捲する常識である。

中国から亡命して来た石平氏は、東京新聞の記者・望月衣塑子氏が「権力と戦う」と発言したことを目して、「何のリスクもない所で『権力と戦う』と言ったって」と笑った。

中国政府に戦いを挑めば、下手をすると此の世から追放されてしまう。石平氏はその危機から辛うじて逃れた人なのだから、その言には説得力がある。

一方、日本政府に戦いを挑めば、リベラルからチヤホヤされる。「強きを助け、弱きを挫」きながら、「弱きを助け、強きを挫」いているかのような英雄気取りになれるのである。

日本の国家権力は怖くないから、リベラルはこれと戦うことができる。ところが、個人的に怖い政治家には抵抗できない。

石原氏に頻繁に接触するさる朝日記者が、本社のデスクに、「石原を怒らせるようなことを書かないでくれ」と頼んだという噂がある。さもありなんと思われる。石原氏の記者会見の様子をインタネットで見ていると、朝日の記者、可哀想になることがあるくらいだ。

私のような反朝日でさえそう思うのだから、朝日の社内でどんな議論がなされているかは察するに余りある。それなのに手が打てないのは、石原氏が怖いからである。

 

そんなに臆病なのに、(もう十年前の話だが)、さる朝日記者は、街頭で演説する政治家の近くに寄ろうとしたのを運動員に制止されて、「俺を誰様だと思ってる。朝日新聞の記者様だぞ」と威嚇したと言われる。(上の行の「俺を———記者様だぞ」をコピペしてインタネットに打ち込んでごらんなさい)

怖くない相手には居丈高にふるまう。コワモテの相手には阿諛追従する。マスコミがみんな媚中なのも、中国がコワモテだからである。

つねづね朝日が言っていることから判断すれば、石原氏の発言は「言論の自由に対する重大な挑戦」ではないか。なぜ黙っていたのか。まさしく、リスクのある所では何も言えないのだ。

彼らのいう「言論の自由」とは「情報産業の既得権益擁護」に過ぎない。言論の自由がそんなに大事なら、「殴るからな」と言われた記者はその場で抗議しなければならなかった。強硬に抗議して、本当に殴られたら、朝日は大キャンペーンを張って、それこそ石原氏の政治生命を絶つことさえできたのではなかったろうか。

昭和時代に、ハマコーこと浜田幸一氏は、自民党本部の中で、国務大臣を殴打するという事件を起こした。浜田氏も政治的には石原氏に近い保守派だから、いわばジャーナリズムの天敵である。その人が本当に暴力を揮うという大事件を起こしたのに、朝日を始め、新聞は何の非難もしなかった。これもやはり、現場の記者が暴力を恐れて、ハマコーを刺激しないでくれと本社に訴えたのだろう。

 

インタネットのニュースから一つ引用する。

《国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)は3日、2023年の「報道の自由度ランキング」を発表した。調査対象の180カ国・地域のうち日本は68位(昨年71位)で、昨年よりは順位を上げたものの、主要7カ国(G7)の中で依然、最下位だった。》

 

何年も前に同じような報道が流れた時には、マスコミは「政府が言論を弾圧している」という流れで喧伝したものだった。

不思議なことに、今回はそういう意見があまり聞かれない。

さすがに、日本の言論の不自由はリベラルの側からの抑圧に起因するということが分かって来たからである。リベラルでさえ、このニュースをあまり取り上げたくなくなったのだ。

こんな風潮になって来たのは、平成二十九年(二〇一七)の「百田尚樹一橋事件」からだったろう。過激派リベラルが「レイシストだから講演させるな」と騒動を起こし、百田氏の一橋大学での講演会を中止に追い込んだ事件である。

同じ年のうちに、今度はリベラルのチャンピオンだった香山リカ氏の後援会が保守派からの抗議によって潰されてしまった。保守派の反撃だった。

新しいタイプの暴力による言論弾圧が始まったのである。マスコミは、香山氏が弾圧されると言論を守れとキャンペーンを張るが、百田氏がどんな目に遭っても、「報道しない自由」を行使する。

豈図らんや。マスコミの画策とは裏腹に、その後、百田氏は意気軒昂に活動を続けているが、香山氏は影が薄くなってしまった。この言論の潰し合いで一番被害を受けたのは香山氏だったのではなかろうか。

香山氏は、百田氏の講演会中止に暗躍したリーダーと親しくしていたとの話がある。ブーメランと言うべきか、藪蛇と言うべきか。

その当時(二〇一七)、インタネットの書き込みを見ていたら、何人ものリベラル派が「百田氏はレイシストだから発言を制限されて当然だ。香山氏はレイシストではないのだから言論の自由が守られるべきだ」と言っていた。

まことに、恣意的な言論の自由と言うべきである。

 

共産党や立憲民主党が政権を取ったら、どんなに不自由な社会がやって来るかは想像に難くない。

現に、今年に入ってから、日本共産党は党中央を批判した党員を二人除名した。国民はこの党の恐ろしさをしみじみと悟ったである。

そして、この原稿を書き出してからインタネットを見たら、「(淡路島の)党淡路地区委員会が南あわじ市議会議員の蛭子智彦氏(65)を除籍した」ことを小池書記局長が発表したというニュースにぶつかった。なんと先に除名された二人に同調したからだとの由。

やんぬるかな、とはこのことだ。

 

言論の自由に対する弾圧は、戦後は一貫して左からやってきた。

今こそ、保守派が立ち上がって、真の意味の言論の自由を守る運動を始めなければならない。

 

以上