『安倍晋三回顧録』を読んで その1

安倍晋三元総理が銃弾に斃れて1年。命日の7月8日には増上寺へ献花のため参拝した。献花台に向かう参道には安倍元総理の大きな写真が展示されていた。もうこの世にはおられないと思うと深い悲しみに襲われた。

今年2月に出版された『安倍晋三回顧録』は大きな反響を呼んでいる。2020年10月から21年10月まで計18回、36時間にわたるインタビューの記録である。

内容は多岐に亘り網羅することはできないが、大切と思われることを3回に分けてお伝えしたいと思う。

国防に尽くした安倍元総理

とかく保守派の人々は安倍元総理への期待度が高く、厳しい採点をする。しかし総理大臣となると外圧にも内圧にも対処しなければならない。うまくバランスをとりながら実績を上げていく難しさが伝わってくる。選挙で勝利し国民の圧倒的な支持をバックに公約の実行をしていく。実行にあたり、内閣の人事、重要な組織の長の人事、ブレーンの選出にも細心の注意を払い、我慢強く段階を踏んで成し遂げる。このあたりは読んでいて絶妙である。また安倍元総理は一般国民が見えていないであろう将来も見越して、先手を打ってきたのだと、この方に国民は守られてきたのだと思うことも多くあった。

安倍晋三元総理は、ひとえにこの国が尊厳を持って存続するために尽くされた方だった。国を守る(国防)のため、様々な手を打ってこられたと改めて思う。

日本は国として当たり前に持つべき軍隊が、憲法9条の縛りによって持てないでいる。実際には自衛隊によって守られているのだが、その自衛隊も憲法では認めていない状態だ。自民党は憲法改正を公約として掲げていながらまだ為せずにいる。その中で安倍元総理はどうされたか。

まず第1次安倍内閣のときに防衛庁の省昇格、国民投票法の制定をした。また覇権国家・ロシアや中国、いつ暴発するか分からない北朝鮮の脅威に囲まれる日本にとって他国との協力が必要不可欠であることから、集団的自衛権を確保するために布石を打ってこられた。

2013年8月に内閣法制局長官に小松一郎仏大使を充てたこと。特定秘密保護法の制定で秘密を守るレベルを上げ、海外からの安全保障関連情報が格段に収集できるようにしたこと。外交・安全保障政策の司令塔となる「国家安全保障会議(NSC)」も始動させた。これは今まで外交は外務省、軍事は防衛省、情報は警察庁と別々だったものを一体化して官邸に組織を置いた、ということである。「集団的自衛権」の行使容認のために、1959年の砂川事件判決を引き、憲法解釈も変更した。そして2015年9月に安全保障関連法が成立。集団的自衛権の限定的な行使が法制化されたのである。